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友達もお金も手放して気付いた、本当に自分に必要なもの

2019年4月、25歳。
社会人生活3年間に終止符を打って、専門学生を始めた。

この生活を現実にするために、社会人2年目から本格的に資金など準備を始めた。
(過去の記事に詳しく書き残してあります。)
それまでの私は、とにかく "お金を貯めておく” という考えが一切ない使い方をしていて、
欲しいものは値段も見ずに買い、誘われたらどこへでも外食に付き合い、すぐタクシーを使い... 今振り返ると無駄に使ってばかりだったなと思います。

しかもそれは社会人になってからではなくて、
学生時代にまともにバイトをしたことがないほど、なんでも親に叶えてもらってきた人生でした。
そして社会人1年目になり、高額な給料でさらに自由に過ごしていた後の
学費を貯めるための節約生活。

その生活の中で見つけたこと・感じたことを綴りたいと思います。

◼︎節約生活を始めてから断ったもの

とにかく覚悟を決めて出費を制限しないといけない、と思い、真っ先にしたことが、
①服や雑貨などの買い物全般をやめたこと と、②交友を断つこと
まずは出費の割合を大きく占めていたところから切り捨てていきました。

買い物に関しては、「今一番欲しいものは"学校で勉強する時間”。その時間を買う(=学費を払う)ために貯金をしないといけない。」と思うと結構あっさりその他の物欲は無くなりました。
お昼ご飯も、買わないようにお弁当持参に切り替えることは苦ではなかったです。

ただ、交友の機会を減らした…というか切り捨てたことは簡単ではなかったです。
基本的にあまり自分から誰かを誘って出かけることは少ないものの、誘われたら全てに乗っていたので、
周りの友人からしても「急に付き合い悪くなった」と思っていた人が多かったと思います。
(ちなみに、本当に近しい、数人程度の友人にしか学校に行くことを話していなかったので、ほとんどの友人は私が誘いに乗らなくなった理由を知らないです。)
それに "誘いを断る” って結構体力のいることで、別に嫌いになったわけではないのに毎回同じ人に何度も断りの返事をするというのは気持ち的に結構しんどかったです。

ただ、そうやって友人との距離を取り続け、いざ交友の機会が減ってみたら、感じたことは「意外と余裕だ」でした。

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◼︎友達がいなくても平気、って悲しいこと?

この頃の自分が関わっていた友達がどれくらいの数だったかというと、規模感としては
社会人までにできた友人が5000人・うち大学&社会人時代に実際に遊んだりしていた友人が500人→節約生活を始めてから交友を続けていたのは5人
それくらい、自分の行動範囲や交友関係を狭めていました。

正直、そうでもしないと目標額を貯めることはできないと思っていたし、
この頃の自分が思い始めていたのは、「そこまで大事じゃない友人に使う時間もお金ももったいない」ということ。
こうやってはっきり言葉に起こすと、自分を想っていろいろ誘ってくれた友人に対して失礼だし、申し訳ないし、冷たいなと思う。
けれど、それまでは多くの友人との時間が一番の楽しみだった私が、「最低限、本当に自分にとって大事な友人が数人いてくれたら、それだけで十分」と思うように変化していたのは事実。


悪い言い方をすれば、それまで過ごしてきた友人との時間は、意味もない・中身もない時間であったことも多かった。(と、今振り返ると思う。)
けれど、たくさんの娯楽の時間より、一握りの質の高い時間だけを大切にしたい、というように考えるようになったのは、
私は悲しい変化ではなく、いろいろなものを削ぎ落としたからこそ得た成長だと思う。

◼︎今の友達観と物欲

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自分がしたいこと・欲しいものに対してお金を渋ることがなかった時は、
何でも手に入ると思っていたからこそ、一つ一つに思い入れがなかった
全てに、というわけではないが、今思えば「どうして買ったんだろう?」「どうしてあの誘いの乗ったんだろう?」と反省することが多い。

しかし、自分の行動範囲や使うお金の額を制限するようになってから、"どんな状況でも離したくないもの"がはっきりした。

物欲に関して言えば、まず安易に「物が欲しい」と思うことがそもそもなくなった。
新しいものが欲しくなっても、今手元にあるものを思い起こすようになり、
「同じようなの、もう持ってるわ」と、新しいものへの欲はなくなったし、
それが繰り返されるとそもそも"新しい欲しいもの”が出てこなくなった。
何より、自分の糧(=一生ものの経験・知識・技術など)になるものにお金を払ってこそ、払う価値があると気付いた。


そして、友達に関しては、一緒に居てお互いを高め合う・良い刺激を与え合う人を大事にしたいと思うようになった。
正直、自分が近しい人に刺激を与えたり、一緒にいることで相手を高めてあげられる存在かと問われたら、はっきりYESとは言えない。
でもだからこそ、まだまだ未熟な自分を奮い立たせてくれるような友達には、少なくとも、自分も同じだけ価値のある人でいよう、と心から思うし、自分ができる最大の助けをしたいと思う。

本音を話せたり、辛い時には支え合ったり、想うからこそ時にははっきり叱ったり。
今の世の中、こんな友達関係を築けることって珍しいことだと思う。だからこそ、こんな貴重な友達は絶対手離しちゃいけないし、逆に、こんなかけがえのない友達が1人でもいれば十分じゃないか、と思うようになった。

◼︎本当に大切にすべきものは何か

簡単に手に入るもの・簡単に付き合える友人も、その一時期の自分を楽しませるものとして、必要なのかもしれない。かつての私には必要だった。

でも、「もっと先の人生に残るものを得ないと、今の瞬間すら空っぽだ」と今は痛感している。
人生は一度きりだから、今の瞬間さえ楽しければいいじゃないか、と言う人もいるだろうし、かつての自分はそんな一面も確かにあった。
ただ、ばかみたいに買い物をしたまま、買ったものをショッパーに入れたまま部屋の隅に積んでいたり、いろんな友達と集まったりしているのに、一人で家にいる時に 自分に友達はいない とふと虚しくなってしまったり、
つまりは全然満たされていなかった。

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それが今は、人生で一番充実している。

”手放す” って、満たされることと真逆のようで、いざ、いろんな無駄を手放して本当に大切にしたいものだけを残したら、途端に自信がついたし、心が強くなった。多分それは、その大事なものたちが、自分の人生にずっと残っていくからだ、と確信できているからだと思う。
そしてその「先の人生に残っていくもの」は、そのままの数・形・価値で残るのではなく、そのものから得る学び・経験・技術・知恵…と、何倍にも価値を高めて、先の人生に活きていく。

今の瞬間だけが表面上の楽しさに包まれている人生ではなく、生き続けるほどに満たされていくような、歩みを進めるのがわくわくするような人生を私が選べたのは、
一見「あるにこしたことはない」と謳われているお金や友達との付き合い方を見直し、本当に大事にすべき価値観は何か、ちゃんと見つけることができたからです。


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