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【創作小説】飢餓不死鳥喰 第二夜

三、美しい鳥

 籠の中の鳥は風切り羽を切られ両の目玉をくり抜かれ、頭頂から眼窩まで細かい刺繍と宝石を縫いつけた色鮮やかな絹の装飾布を被せられていた。
 鳥は籠の中で暴れることも囀ることもなく、ただ置物の様にひっそりとその身を籠の底に横たえているばかりだった。弱っているのは一目瞭然であったが、黒王はその儚げな姿になおさら心打たれ、鳥に深く魅了されるばかりだった。

 彼は私室に鳥籠を運ばせると、日がな一日飽きることなく籠の中の鳥を眺め続けた。
 のみならず、やがて彼は王としての職務の時間、即ち会議や謁見の時、果ては会食の席にまで、鳥籠を傍らへ運ばせた。鳥籠には覆いが掛けられ、中を覗くことは許されなかった。ただ王のみが時折、覆いをわずかにめくりあげ、中に横たわる鳥の姿の眺めては満ち足りた表情を浮かべた。
 挙げ句、終いに彼は数多くの美しい妻たちと共に夜伽を楽しむことよりも、鳥籠の中の置物のような鳥を夜半過ぎまで眺めて過ごすことを好む様になっていった。

 妻たちの多くは鳥に嫉妬し、また臣下や従者たちは彼の鳥への異常なまでの愛着を訝しみ、更に彼のみが美しい鳥を占有していることを少なからず妬む者も在ったのであろうか、次第に誰ともなく黒王は影で『鳥狂いの王』と呼ばれる様になった。
 
 この時より、王の周りの者たちは誰ひとりとして気づく者も無かったが、鳥はその身に不思議なまやかしの力を秘めていた。鳥の全身から放たれる淡い虹色の光彩は、鳥を見るも者の望む姿に変えて見せる。
 黒王が鳥にどんな姿を見たのか、それは誰も知らない。或いは王自身も鳥の変容に気づいてはいなかったであろう。けれど鳥の姿は、王を夢中にさせた。

 黒王は自らに対する臣下や妻の嘲笑や蔑みに気づかぬ程無能ではなかったが、美しい鳥を前にすると、彼らのことなど、いや鳥と自分以外の何もかもがどうでもいい様な気分になった。
 やがて黒王の生活のすべては鳥のため、鳥と共にあるためへと変わってゆき、次第に広まる王に対する悪評を、彼は放ったままに捨て置いた。
 今や黒王にとって世界は、自らと常に傍らにあるこの美しい鳥だけとなっていた。
 たとえ籠の中の鳥が、日にわずかしか動くことのない置物の様であったとしても。

四、まやかし

 黒王は私室で美しい鳥を眺めながら、ほうと溜め息を吐くことが多くなっていた。鳥は凝としたまま日ごとに弱っていく様子であり、それが黒王の心を痛めた。けれど鳥の弱るのも仕方なく、彼はもとより、この鳥を献上した南方の民ですら、鳥が何を食べて生きているのか知る者は誰もいなかった。
 黒王はあらゆる手を尽し、様々な果実や木の実や種、野菜や草花、或いは肉などの食材を手に入れては鳥に与えた。
 けれども籠の中の美しい鳥は、それらの一切を口にしようとはしなかった。

 王はしばしば、鳥が既に籠の中で息絶えているのでは、と言う不安に駆られた。そうした時、彼は鳥籠の格子を開くと中に手を差し入れて、横たわる鳥にそっと触れた。

 淡い虹色の光彩を放つ鳥の羽は、上等な絹地よりも滑らかなさわり心地がし、鳥に触れると時王はいつでも、うっとりと甘美な夢の中にいる様な気分になった。王が鳥に触れていると、触れたところから鳥の内部にかろうじて残る体温と、鳥の呼吸によるわずかな動きが王に伝わった。彼はそれに安堵し、そしてその度ごとに鳥への愛しさを募らせた。それに比例して、彼は鳥が弱って死に至り、鳥を失うことへの恐怖を膨らませていた。

 ある時王は私室にひとり、いつもの様に美しい鳥を傍らに置いては飽きることなく鳥の姿を眺めていたが、ふと口を開き鳥に向かって話し掛けた。

 北の黒王「ああ、余はおまえを差し出した南の蛮族どもが憎くてならぬ。あの者たちがお前に乱暴を働きさえしなければ、おまえはその美しい羽を広げて飛ぶことも、美しい声で囀ることもできたろう。また盲目でない宝石よりもまばゆい双眸で、余を見つめてくれたに違いない。いっそお前の仲間を捜すことを命じ、お前とつがいにしてやれば良いのだろうか。否、そんなことをすれば、お前のその小さな頭は仲間のことで一杯になり、余のことを気に掛けることも無くなるであろう。だからそれだけは出来ぬ。
 それにお前の仲間を捜すのも、並大抵のことでは無いぞ。いずれの国の学者たちを集めて訊ねても、お前を似通った鳥を誰も知らぬし、ついぞ見かけぬと言うのだから」
 
 王が何気なくこう言うと、あろうことか美しい鳥は、鳥籠の中に横たわったまま王に向かって語りかけた。

美しい鳥「愛しい北方の黒王様、わたくしの翼は最早飛ぶことを致しませぬ。なぜならあなた様と巡りあったからでございます。わたくしの舌はもとよりさえずるためのものではございません。あなた様と語らうためにあるのです。そして愛しい我が君、わたくしの両目はくり抜かれましたが、そのお陰でわたくしは今、全身全霊で持ってあなたさまの存在を感じることができるのです。
 ですからどうか、わたくしの仲間をお捜しになろうとは考えないでくださいませ。わたくしには黒王様のお傍に置いてさえいただければ、それで十分なのでございます」

 美しい鳥は天上の音楽も斯くやと思われる様な、それはそれは美しい声音で王に告げた。彼は仰天し鳥を見つめたが、すぐに喜びが込み上げ、更に鳥に向かって話しかけた。

北の黒王「おお、なんということだ。そなたはいつの間に人の言葉を身につけたのだ。余はありとあらゆるものを見てきたつもりだったが、人の言葉を解し、語る鳥など初めてである。しかもこれはなんという奇蹟であろうか、よもやお前と話すことが出来ようとは!」

美しい鳥「愛しい我が君、わたくしの一族はもとより、人間の言葉を解し、話すことが出来るのでございます。しかしそれには我が君、あなた様のようにわたくしを愛し、そして先んじて話しかけてくださることが必要だったのです。
 黒王様のわたくしを思う気持ちが、わたくしに我が君を語らう舌を与えたのでございます。ですから、わたくしが語り合えるのは愛しい我が君だけ、あなた様ただひとりのためだけに、私の舌はあるのです」

北の黒王「なんと素晴らしい! 余のみと話せる舌と申すか! まるで夢の様である。さすれば教えてくれ。お前の日ごと弱っていく姿を見ているのは身を切られる様に辛いことである。お前の食事はなんなのか、生きるために何が必要か、何を望んでいるのか、今こそ余に教えてくれ!」

美しい鳥「わたくしの食事は手に入れることがあまりにも困難なもの。どうか我が君、わたくしのことで心の悩ますようなことはなさらないで。わたくしには必要なものは最早なにもありません。ただこの鳥籠の中にて、我が身の朽ち果てるのを待つばかりでございます。私はここで、我が君の存在を全身全霊を込めて感じ取り、残りの余生を過ごさせて頂ければそれで十分にございます」

 此れを聞いた王の喜びは並大抵ではなく、彼はこの時より片時も鳥を自らの傍より放さなくなった。妻や侍従たちがどれほど不審気に眉を顰めても、臣下たちがどれほど薄気味悪そうな表情を浮かべても、黒王は意にも介さなかった。
 彼の目には最早、鳥以外の何者も映らなくなっていた。そうして気づいた時には臣下たちも、黒王の美しい妻たちも、その誰ひとりとして、王の興味を鳥から反らすことが出来なくなっていた。
 そして彼らも王も、誰ひとりとして知らない。

 鳥の姿は、見る者の望む姿。

【第三夜へ】


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