あとは君らで決めといてくれ
何がほしいとか絶対これになりたいとか、そんなものが全くないせいで人生がかなり成り行き任せになっている。
幼かった頃はそんなことはなかったと思う、若いんだからその気になれば何にでもなれると大人はよく言っていたし、その言葉を半分くらいは信じていた。間に受けていたと言ってもいい。そういえば、小学生の頃、他人の夢に「夢がない」なんて無粋にも程があるケチをつけたことがあった。夢がないなんて言ってる奴の方が夢のなんたるかをしらないのだ。並大抵では叶わないであろうこと、身近ではないシンデレラストーリーを掲げていれば「夢がある」なんて夢見がちにも程がある。宝くじは夢がある、サラリーマンは夢がない。私は夢がない。
ここ数年は昔の同級生の夢をよく見ていた。目が覚めるたびに恥ずかしく、消え入りたくなる。衣錦還郷なんて古臭い言葉を持ち出してみる。同窓会。来年の成人式で、集まるらしい。私は行かない。行かないのだから、関係のない話だ。消息を尋ねるLINEも既読無視してしまったから、もういよいよ行けないのである。
この頃は夢を見ない。夢枕に現れる懐かしい顔、数年前のまま永遠に歳を取らないあどけない顔に深層心理の思惑を探さずに済むのでありがたい限りだ。夢分析。また古臭い言葉だ。信じていたものがいつの間にやら疑わしくなり、やがて当然のような顔をしてはじめからなかったことにしている。
たぶん、小学生の頃にはもう夢は叶うなんて嘘だと知っていた。だからこそ、嘘を平気で唱える無邪気を装いたかった。何にでもなれるなんて何かになろうとしたこともない人間にはなんの薬にもならない言葉だ。今のこの状態が何なのかもわからないのに、なにかになれなんて難しいことを言わないでよ。
昔から扱いづらい子供だった、すぐに泣いて拗ねる子供だった。あれが食べたい、あれをしたい、今じゃなきゃイヤをあれだけ言えたのに、今となっては昼飯になにを食べたらいいのかわからずにコンビニを徒にうろついて何も買わず、そのまま店を出て腹をすかせたまま朦朧と街をそぞろ歩くことがよくある。
無数の枝分かれした先の見えない選択肢、無数の並列したままおし寄せる情報の波、無数の電波に乗って飛び交う言葉がいつも私を困らせる。無限のものから選びとるのは難しい。太平洋の冗談みたいに途方もないだだっぴろさ。水平線の向こうには本当に陸地が存在しているのかさえ怪しい。水面に風を受けて波立っている塩水のかたまりを、あまり真面目に見つめすぎるといけない。その奥深くのそこに何が潜んでいるのかもわからないのだから。一度足を滑らせたらきっと、もう二度と戻ってはこられない。暗い色に沈みこんだ海面を見るたびに落ちたら死ぬ深さだと思う。あぶない。海で死ぬのは、いやだ。
こうしてうかうかしているうちにいくつか売れ残りが見えてきたら、その中から一番マシに見えるもの、一番私にふさわしい程度にふざけたものを選んで帰る。家に帰って布団に寝転ぶともう動けない。久方ぶりに夢を見たくても、疲弊しきった頭はやけに冴えてなかなか眠らせてくれなかった。
生活。レッスン。アルバイト。休学。何もしたくない。たまに言葉を弄んであそぶ。未来のことを聞かれると何もわからなくって困る。私の文章を参考にすると言われるともっと困る。社会から意義も権威も与えられずとも生きていけたらいい。
自分に最もふさわしい程度にみすぼらしく輝いているものを探したい。きっと、私はもっと本気で傷つかなきゃ生きているって感じられない。
映画館に着いたのは上映の一時間前だった。一番乗りだったらしく、一番の番号札と共に色刷りのポストカードを渡される。バーレスクの衣装を着たマリリンと黒髪の女優がステッキを手に笑顔でポーズを取っている下に、題字が躍っている。紳士は金髪がお好き。腕時計もないので、映画館のベンチで本を読んで待つことにした。物語の主人公はとっくに老いて、インタビュアーに何十回目かの名前の由来を語ってみせている。上映時間が来ても、入場者は決して多くはなかった。何しろ平日の午後、マリリン・モンローが主演の往年のミュージカル映画だ。前方に座った老人が、文庫本を開いているのに倣って私も単行本を開く。私が予期していた登場人物の一人が死ぬ。室内が暗くなり、上映が始まる。
夢から 醒める。
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