見出し画像

#39 不安に支配される

前回に続き、また動画を見て救われた話。

私は過覚醒が強くなったときに出るのが、不安障害の症状です。なかでも病気不安が顕著に表れます。

体に起こっていることはとても些細なこと、もしくはなにも起こっていないのに、「大きな病にかかっているに違いない」と思い込んでしまう。そればかりが頭を占めて、生活がおろそかになってしまう。

自分でもおかしいなと思っています。あぁ不安障害っていう病気なんだなと自覚を持っています。それでもなかなか打ち勝てない。病気になること、事故に遭うこと、事件に巻き込まれること、死ぬこと。それらが待ち構えているのなら、生きるのが怖いし、生きるのが怖いから生きること自体を辞めたい。そんな本末転倒な思考にさえ陥ります。

そんな症状がでているなかで見つけたこの動画を見て、我に返り、このSleeping grassの活動をさっそく再開したという流れです。

動画のなかで和尚さんは、「死ぬこと、病気になることは仕方がない。でもそれらがいつ起こるかは誰にもわからない。それに怯えている時間のほうがもったいない」「死ぬことは怖くない。やりたいことができないまま人生を終えることを考えると怖い」とおっしゃっていました。

当たり前のことかもしれない。でも、不安に支配されているときには、これに気づくことができないんです。自分で切り替えることがとてつもなく難しい。

私、やりたいこといっぱいあるよな。

仕事ももっとやりたい。引っ越したい。断捨離したい。好きなもの食べたい。水泳とかやってみたい。アニマルセラピーを受けてみたい。タップダンスをやってみたい。もっと歌いたい歌がある。自分で音楽をつくってみたい。写真もやりたい。会いたい人もたくさんいる。

それらがすっ飛んでしまうんです。不安に支配されて。

こんなにやりたいこと、考えたいことあるのに、それを置き去りにして、死に怯え病に怯え、不安に支配されつづけるのはなんて怖いことだろう。

ようやく我に返りました。

この我に返るきっかけって、タイミングと相性だと思うんです。話が入ってくるタイミングで、入ってくる声で、入ってくる話し方で、入ってくる言葉選びで聴けたとき、ふと落ちてくるんだと。

だから、なんで早く気づかなかったんだ、とは思いません。このタイミングだったんだな、と思います。

自分の考えていること、感じていることをこうやって言葉にすることも、私のやりたいことのひとつです。今まで生きてきた家庭環境、職場環境ではなかなか自分の話ができなかった。だけども言葉が好きで、思考することが好きで、自分のなかにある言葉たちを出していきたい。

この活動も私を支えるものの一つです。


▼今回の配信はこちら


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?