見出し画像

#47 親に怒り続ける

私は今、治療の一環として親と距離をとっているのですが、時折無性に実家に帰りたくて仕方がなくなることがあります。つい先日もそれで涙が止まらなくなって、あぁこれはちょっとよくない状況かもしれないなぁと思い、カウンセリングを受けました。

その結果、私には親に対する怒りが足りていないのではないか、との結論に至りました。


本来「実家」とは、安心できる場所であり、ここがあるから頑張ろうと思えるもの。だから何かあったときに帰りたくなるのは自然な感情。

ところが私の場合、実家が安心できる場所ではなかったにも関わらず、泣くほど帰りたくなっている。


安心できる場所ではなく、傷つけられ、粗末に扱われ、一人の人間として子どもとして見てもらえない場所だったのだから、親に対して怒りの感情があるのが自然な状態らしいです。

おそらく私は、この親への怒りを認識していない。小さい頃に「怒る」という感情表現を禁じられ、抑えてきたことによって、消化されることもなく、なんならうまく認識できずにいる。


本当は親へ向いているはずの怒り。それはなくなったわけではなく、普段は自分に対して向いているのだとか。確かに私は自己否定の癖がものすごく強いです。カウンセラーさんに「それは自分がかわいそうだ」と何度も言われるほど、無意識下で自分に対して厳しい声が聞こえてしまう。

その普段自分に向かっている怒りが、何かの出来事をきっかけに他者に向かってしまうことがあります。いつも自分に向けている「ぐちぐち言ってないで動け」「そんなこと言ったって仕方ない」などという言葉たちが、他者に向かうのです。

私が無性に実家に帰りたくなるポイントの一つがこの瞬間。

怒りが親から、自分から抜けてしまうとき、親に対する感情として、私の手元には愛情しか残らなくなる。だから帰りたくなるんだそう。

これを聞いて本当に腑に落ちました。


無性に帰りたくなっても、実際に帰ったことはありません。帰ってみたところでまた疲れ切ってしまう自分の姿が思い浮かぶからです。そして同時に、「どうして私は実家で耐えることができないんだろう」と思います。怒りが自分のもとに戻ってきて、自己否定が再開しているんでしょうね。

私の最終的な目標としては、実家と縁を切ることではなく、実家とうまく距離をとれるようになること。顔を合わせない期間を経て、自分で会う頻度や時間を選択できるようになったら、少し楽に会えるよね、と。

そのためには、怒りを持ち続けなければならないんだそうです。

一緒にいた頃の怒り、悲しみ、寂しさを感じきって消化しないと、いつまでも親に対する拒否感が消えないし、自己否定も止まない。ひいては今の生活圏内にいる人に、その怒りを向け衝突を起こすことを繰り返してしまう。

だからちゃんと怒らないといけない。とのことです。


こういう表現になってしまうのは、今でも「親に対して怒る」感覚がイマイチわからないからです。「こういうとこ嫌だったなぁ」「ここが合わなかったなぁ」「たぶん悲しかったんだろうなぁ」と他人事のように感じてしまって、どこか実感がない。

自分の幼い頃を思い出すと、確かに不自然です。親からの扱いに対して、何も反論せず、仕方ないと受け止めている。どうして子どもなのに泣いて訴えることも怒ってわめくこともしてないんだろう、と思います。

親に対しても、会いたくないとは感じていないのもまた不自然。「会えない」とは思うけど。それは自分が耐えられないから、自分が疲れてしまうから、そうすると無反応になってイライラした態度で接して困らせてしまうから、だから会えないだけで。

こうして全部自分に向いているんですよね。「親が悪い」の発想すらない、みたいな。


親に対して怒る。このフェーズはおそらく、愛着障害からくる複雑性PTSDの治療として、まだまだ初期段階なのだろうと思います。それすらもぼんやりしている…。これは恐ろしいですよ。カウンセリングを受けだしてもう3年以上、もうすぐ4年になろうとしているんですから。

カウンセラーさんからも、「私は長くかかるんだって思っておいて」と言われているし、私自身も難しい問題だろうし焦ることもないけれども…あ、まだここなんだ、とは思いますよね。単純にね。


▼今回の配信はこちら


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?