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SM婚。多頭飼いの夢


 りょうじがSM婚を知ったのはインターネットだった。
 「興味があるようね。りょうじさんのことを信頼して写真を添付しました」
 珠代とりょうじはある掲示板で知りあい、何度かメールを交換していた。

 計6枚の写真が2回に分けて送られてきた。
 まず3枚。

 自宅の一部、多分2階の屋根裏か、3階だろう。
 手作りらしい木製の監禁小屋だった。
 内部が2枚。幅3メートル、奥行き2メートル。入り口は1,5メートルほどで、屋根の傾斜に沿って奥にいくほど低くなっている。大人ならかがんで入り、すぐ横になるか腹ばいになるかしないと、そこでは生活できそうにない。

 床には薄い布団と足元にタオルケット、洗面器がひとつ。
 四隅には鉄の輪があり、拘束具がつなげるようになっている。

 珠代が連日のように夫の誠を鞭で打ちすえたり、アナルを犯したりしたあと、ここにつないでおくのだとメールにはあった。
 小屋の写真には人の姿が欠けていて、りょうじは恐怖とともに想像を膨らませるしかなかった。モノクロ加工したそれは昭和の香りを漂わせていた。

 3枚目は外観である。頑丈そうな分厚い板で全体が囲まれていて、人一人がやっと入れる小さな扉と天窓が一つあり、扉には鉄の棒の閂がかかり南京錠がぶらさがっている。

 「悲鳴が聞こえるてくると自分でも興奮するのがわかる。もうくせみたいなものね。とまらなくなってしまう」
 「男がいやがるからいいの。悦んだりしたら興ざめね」
 「ペギングもわたしのためにする。男がいくかどうかは関係ない。声をたっぷり聞かせてくれないとね」
 「もう10年以上になるかな。誠も望んでのことだから…」

 6枚の写真のうち、残る3枚には珠代たちが顔のわかる形ではっきり写っていた。
 夫婦の写真も1枚あった。どこかの海辺の観光地だろうか。四つん這いになった誠の背中にちょこんと腰をおろした珠代がこちらに顔を向けている。

 りょうじが想像していた珠代とはまるで違っていた。丸顔で童顔。すましたような表情は誇らしげだった。カメラ目線がりょうじに向けられているようでもあった。
 誠のいかにも頑丈そうな肉体ときゃしゃで小柄な珠代が対照的だった。
 周囲の目もあっただろう。そんなことはおかまいなしに誠は微笑を浮かべりょうじを誘っているようにもみえた。ちょっと勇気を出せばいいんだよと。

 首都圏で二人は会社を経営していた。名実ともに珠代が社長、誠が専務だったが、普通の2ショット写真だったら、頭ひとつ高い誠が会社の代表者だとだれでも勘違いしたろう。
 誠は目立つ目鼻立ちだし眉も黒々と太い。
 誠は北海道出身で、その縁もあり札幌に住むりょうじに珠代は目をつけたのかもしれない。
 「多頭飼いをしてみたい。OWKって知ってる? チェコにある理想郷。あれはプレイだけど、リアルに実現してみたい」

 OWKは有名な女権帝国だ。広大な敷地にある石造りの館でドミナたちが暮らす。奴隷たちは、豚や馬や犬のように扱われ、家畜小屋で飼われている。
 例えばドミナの移動には奴隷を使う。レザーのハーネスをつけられた奴隷たちがドミナの馬車を引くのだ。何匹もの奴隷を使う本格的な馬車もあり、美しいドミナたちは容赦なく鞭を振り下ろして速さを競う。

 だから男たちの背中はミミズ腫れになっている。ギリシア、ローマの時代の奴隷や「レ・ミゼラブル」に出てくる囚人たち以下の暮らしを男たちは強いられている。りょうじは屈強な男たちの境遇に思いをはせながら、誠の姿をだぶらせていた。
 -自分は耐えられないだろう。でもこんな平凡な人生よりも奴隷の方がどれほど幸せか。生きた証として珠美様のもとにいきたい。そして飼われたい。
 りょうじは頭の中でなんども反芻した。

 だが、りょうじはまだ甘かった。本当に驚いたのは残る2枚写真を見たときだった。
 そこには誠と、多分珠代との間の子供だろう10歳ほどの女の子が写っていた。

 女の子は誠に肩車されて階段を上っている。
 ただし、女の子は着衣なのに誠は全裸だった。股間も露わになっているが恥ずかしがっている様子は二人にはない。親子の日常の一風景のようだった。
 おそらく珠代が階段の上から撮影した姿だった。

 男はあくまで女性のための生き物。それが照代の考えだった。娘にもそれを教え込んでいるとしか思えなかった。
 妻に命じられ、娘の前でも喜んで全裸になる父親。ときには馬にもなる。まさにOWKを実践していた。
 普段の生活では父として振る舞うこともあっただろう。でも、命令一つで一匹のオスとして娘にお仕えする。
 妻である珠代の慰めものとして鞭打たれ、犯され、性玩具になるのと同様、娘に仕えるのも重要な務めのようだった。
 写真はそのために自ら進んでお仕置きを受けに向かう姿だと珠代が説明してくれた。

 「自ら進んで」ということを珠代はりょうじに何度も強調した。

 「そう北海道弁にあるでしょう。食べらさるとか、押ささるとか」
 この言葉でピンとくる人は北海道をよく知る人だろう。
 「さる」がポイントで、自分の意志ではなく、何者かに促されるようにして、そうなってしまうことを表す方言だ。

 北海道のコメがおいしくなったので、きょうも腹いっぱいお米が「食べらさる」。
 TVのリモコン操作でボリュームをあげようとしたのに、チャンネルが変わってしまったら、「チャンネルボタンが押ささった」。
 いずれも自分が意図したわけではなく、そうなってしまったという意味だ。

 「こいつは、わたしの聖水をいつのまにか飲まさるようになったの」
 「人間便器だからこんなものまで食べらさるのよ」
 「お前も北海道ならこのニュアンスが分かるでしょう」

 「そう。私の命令だけでなく、どんな女性の前でも同じように振る舞う。たとえそれが老婆であっても、自分の子どもであっても、ね。女性に従わさるように生まれ変わったのよ」
 こんな世界が本当にあるとはりょうじも想像していなかった。

 残る一枚も娘と誠の写真だった。

 休日の昼下がりだろうか。明るい部屋で、小学校中学年の女子がソファにかけて読書にふけっている。
 カーディガンをはおりスカートに白いハイソックス。本に没入しているようで、ハイソックスの両脚はオットマンに投げ出されている。
 実はそのオットマンは誠で、人間家具として使われているのだった。もちろん全裸で剃毛した下腹部の性器も露わになっている。

 ここでも誠は笑みを浮かべており、その本性を暴露している。
 こうした光景がすっかり日常になっているようだった。
 居間での光景を珠代が活写したのかもしれなかった。

 「これまでの仕事や家庭を捨てられる?」
 「想像してご覧なさい。今の束縛状態よりよっぽど幸せじゃない? 自己実現」

 確かに、言われると会社に隷従し家族のために働いているのがその当時のりょうじだった。珠美の国の一員になれたら本望ではないか。

 それまでもりょうじはマゾとして生きる生活を幾度も夢想してきた。
 例えば婦人靴だけを扱う靴屋の店員となり、毎日、女性にかしずく暮らしはどうだろう。
 脱ぎたての靴のむっとする香りを胸いっぱい吸い込ませていただく。夏だったらサンダルの先からのぞく美しいペディキュアを息がかかるくらい間近で見られる。
 お客様の前では跪くのが自然な姿だろう。
 当然、あらゆる女性を床から仰ぎ見ることになる。
 こんな毎日を想像してはため息をつくこともあった。

 ただし、そんな夢想に登場する女性たちはきまって美しく若い女性ばかりだった。女性を容姿や年齢で比べて、結局は自分の性欲のために利用するようで、エゴマゾを自覚し自己嫌悪に陥ることもあった。

 珠代はそんな男の欲望をすっかりお見通しで、本当の女尊男卑の国はもっと自由で生きやすいはずだと誘ってくれた。

 だが、今に至るもりょうじは決心がつきかねている。

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