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百聞は一見に如かず< 百見は一動に如かず。

百聞は一見に如かず、という言葉がある。
百回聞くことは、一回見ることに敵わない。聞いただけで分かった気にならず、自分の目で直接見て確かめることが大事だ、という意味のことわざである。

確かに、人の口からうわさで聞くのと、自分の目で見て確かめることは、大きな違いがある。目で直接見て、感じること、学ぶことのほうが多いだろう。

だが、ここでもう一歩深めたい。
百見は、一動に如かず。
どうだろう?私はこれが仕事の上でも、教育でも、本当に大事だな、と思っている。

自分の目で直接確かめたとしても、それについて分かったといえるのだろうか?
本当にわかる、とは、自分の経験や体験から、その難しさであったり、感覚であったり、実際に行動して得たものが自分の中に感覚としてある状態のことをいうのではないか。

今の教育現場では、知識が体験に先行している。
これでは、知識が本当に使えるものに、子どもたちが生きていくうえで役に立つものになっているとは言えないのではないだろうか。
だからこそ、もっと体験を取り戻すことが教育には求められている。

慶應義塾大学で認知発達の研究をされている今井むつみさんは、「学びとは何か」という本の中で、断片的な知識を突っ込んでいく、いわゆる詰込み教育を「知識のドネルケバブ・モデル」として、子どもたちの生きた知識にならないと述べている。

もちろん、すべての学びを体験から、というのは理想ではあるかもしれないが不可能に近いことだろう。
だが、そこまで極端でなくてもできる限り、体験をさせる。子ども自身が自分の経験から、学びを引き出すということを意識するだけで、子どもたちにとっても生きた、納得度の高い学びが生まれるのではないだろうか?

体験推奨。
子どもたちのやってみたい、に対して野暮なことは言わない。
子どもたちが自分からやったのならば、失敗が自分に返ってくるということすら学ぶ機会になるのだから。


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