”分からない”=悪 が強すぎる日本

皆さんは勉強が好きですか?

おそらくほとんどの人が嫌い、と答えるような気がします。
普段、子どもとかかわっていても、勉強=つまらないものという方程式が成り立っており、ほとんどの子どもが勉強をしたがりません。

そこで、僕はよく考えます。
なんで勉強が嫌いになってしまうのだろうか?と。
皆さんも数秒、考えてみてください。


どんな理由が思いつきましたかね?
まあ、いろいろな理由が挙げられると思いますが、その一つに、わからないこと=悪 というイメージが定着してしまっていることがある気がします。

学校教育では、周りの生徒と比較され、テストでは分からない問題、間違った問題は情け容赦なく✔。なんで分からないんだ、と先生に怒鳴られ、分からない自分が悪いんだ、と自分を責める始末。
しかも分からないところは分からないまま授業が進んでいってしまう。
これでは、分からない=悪 というイメージがついてもおかしくないですよね。
そりゃ勉強が嫌いになります。

ここで、一つ思うのですが、分からないことって悪いことですかね?

人間だれしも最初から分かる人はいないですし、分かる(理解する)スピードも人それぞれです。
そして、「分からない」という状態があるからこそ「分かる」状態があるわけで。
ということは、逆に言えば「分からない」ことは、伸びしろですよね。

だから、もっと「分からない」ことを受け入れていいと思うのです。
「分からない」なら、分かるように焦らず一つ一つじっくり考えていけばいい。そして「分かる」ようになったら、その喜びを分かち合う。
「分からない」ことを責めても、「分かる」ようにはなりませんから。

なんなら、「分からない」ことを喜べたらいいのでは、とさえ思います。
「分からないところがあったのか!よっしゃ!チャンス!」みたいな。
まあちょっと極端ですが。

学力偏重、テスト重視の息苦しい世の中で、「分からない」ことを受け入れるのは、なかなか抵抗感があることでもあるように思いますが、それができてこそ、少し勉強に対する意識が変わるんじゃないかな、と思っています。
もしお子さんが、「分からない」ことで悩んでいたら、その「分からなさ」を受け入れて、ゆっくりと一緒に考えてくれたら、と思います。


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