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回り道を恐れない、という勇気

久しぶりに娘と2人で喫茶店に行き、おしゃべりをしていた。

最近、彼女は色画用紙のセットを買ったらしい。
大学時代の課題で切り絵を作ったことがあり、それがとても楽しかったので、またやってみたくなったのだそうだ。

ところが、買った時のワクワクした気持ちはすぐにどこかへ行ってしまい、色画用紙は使わずに仕舞い込んでしまったのだという。

***

「最近ね、そういうものばかり部屋に溢れてきて、それが目に入ると、すごく嫌な気持ちになるの。」

娘はぽそりと言った。

嫌な気持ちって、どんな風に? と尋ねてみたら、しばし考えてから、こう答えた。

「なんか、自分のダメな部分を突きつけられてるみたいで。全部捨てて、無かったことにしたくなるの。」

リセット、ということだろうか。

そう思って聞いてみたけれど、少し違うような気がする、という。

なぜ無かった事にしたくなるのか、本人にも分かりかねている様子だったので、一緒に考えてみる。

気持ちが冷めた瞬間は何を考えていたのだろう。
それを知りたいと思った。

彼女は黙ってテーブルに目を落とし、それからこう言った。

「たぶん、あのね。こんなことやっても何の役にも立たないじゃないか、って思っちゃったのかもしれない。」

・・・そうか。

腑に落ちた、という言葉が当てはまるのかわからないが、ストン、と何かが私の中に落ちた。

いつも彼女の心のブレーキは、「無駄なことをしてはいけない」と思う気持ちなのだ。

***

彼女は中学校1年生のとき、突然学校に通うことができなくなった。

中学3年生になるまでの約一年半の記憶は、今も空白なのだそうだ。

精神科に通って、なんとか3年生で復学したものの、しばしば体調を崩し、ただただ必死に生きていた。

本当に必死に生きていた、としか言えないくらい、毎日、紙のように真っ白な顔色をしていたのだ。

精神科の先生と、中学校3年生の時の担任の先生がとても親身になって助けてくれたおかげで、高校は通信制を選んで進学することができた。

けれど、その3年間も決して安定したものではなく、何度も暗闇と現実を行ったり来たりしながら過ごしていた。

やっとの思いで高校を卒業したものの、中学校での空白の一年半は、ずっと彼女の中で埋まらないまま。

大学進学の夢はあったが、抜け落ちた時間が足枷となって自分に自信が持てず、受験に踏み切れなかった。

高校を卒業後の1年間は、ゆっくりと体と心の準備をし、翌年に大学へ進学した。

***

大学で過ごした4年間、彼女は同級生達より自分が1歳上だということを、ずっと誰にも知られないようにしていた。

恥ずかしい、という感情ではなく、「無駄にしてしまった時間をみたくない」という気持ちだったのだという。

そういえば、今でも時々彼女は言うのだ。

「あのとき、中学校3年間、全部通えてたら今頃どうしていたかな」

ずっと彼女は、"無駄にしてしまった時間” のことを考えている。

***

しかし、それらの時間は、私にはいま全く真逆に映る。

休学していた一年半、私と娘は、多くの時間を映画館や美術館、動物園や水族館などで過ごしていた。コンサートやライブにも行った。

信頼を寄せていた精神科の先生にこう言われたのだ。

「お母さん。学校へ行かなくってもいいんです。それを後ろめたいと絶対に思わないでください。学校へ行く代わりに、楽しい時間を沢山一緒に過ごしてあげてください。沢山素敵なものを見せてあげてください。」

どう彼女に手を差し伸べれば良いのか悩んでいた私には、これほど心強いアドバイスはなかった。

そしてこの言葉が、その後の彼女の進む道に影響を与えたのだ。

***

休学中に最も多くの時間を費やしていたのが、映画やドラマを見ることだった。

最初はおそらく、現実の世界から離れて、別の世界へ没頭したかったのだ。ふたりとも。

私は昔から映画が好きだったので、覚えている限りの心に残る映画を彼女に見せた。

素晴らしいセリフの詰まったドラマも、2人で沢山見た。

そうしているうちに、いつしか彼女は、こういう素晴らしいものを作る側になってみたいと思うようになった。

だから、志望大学を決める時の彼女には、1ミリの迷いもなかった。

「社会に復帰できる気がしない」と自信を失っていた彼女を後押ししたのは、それらの時間と、それによって得た目標だった。

***

大学では映画美術を専攻し、大いにこれを学び、恩師や親友との出会いがあった。

とても濃い時間だったようだ。

ひとりでは電車にも乗れず、人と話すことも上手く出来なくなっていた彼女は、大学で4年間という時間をかけて、少しづつ社会へ戻っていった。

その4年間にもまた気持ちの変化があり、映画界へは挑戦することをやめたが、だからと言って、大学で過ごした時間が失敗だったわけでも、無駄だったわけでも、決してない。

なぜなら、彼女はずっと生き続けてこられたのだから。

***

回り道だと思えても、その人にはそれが必要な時間なんだろう。

いまやろうとしていることが、役に立つか立たないかなんて誰にもわからない。

だから、毎日を生きてみる。

意外に、役に立つかなんて考える間もなく、気づいたら夢中でやっていたということの方が、自分を支える礎になる。

その時良いと思った気持ちや、好きだと思った気持ちを大切に。

失敗だったかどうか無駄だったかどうかは、諦めた時に決まるのだと、誰かが言っていた。

最短最速でゴールに辿り着かねばならない、という思い込みは呪いだ。

それを解くのは、そう簡単なことじゃない。

でも、心が動いたその一瞬にこだわり続けていけば、できるかもしれない。

そして、いつか死ぬ瞬間に「ああいい人生だったなぁ」と思えたらいい。






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