コーチがプロカメラマンに人生3度目の写真をとってもらった話
最近少しずつコーチングで仕事ができるようになってきた。すると欲が出て、看板となる「自分の顔のいい写真」が欲しくなった。そこで人生初めて、プロのフォトグラファーさんに写真を撮ってもらいたいと思いついた。
写真が良くなったら、もっとプロコーチっぽくなるんじゃない?
そんな尻軽な気持ちで、成人式、結婚式を経て、人生3度目の写真をプロに撮ってもらいたくなった。
詐欺ではないが実物より1.8倍可愛い写真を期待する
Twitterで呟いたところ、コーチ仲間が素敵なカメラマンを紹介してくれた。普段、個人のプロフィール写真はほとんど仕事として撮らないらしいが、紹介であることや、私とのやりとりで縁を感じていただいたらしく、超破格な私の無茶振りを何故かYESと引き受けて下さった。
私の当初の気持ちは、「詐欺写真ではない程度に、実物より1.8倍可愛く撮ってほしい」ぐらいの感覚。高校生の時、ちょっと可愛いプリクラが撮れて大喜びするような、自分の自意識が喜ぶような「いい感じの写真」が欲しい、ぐらいのキャッキャした感じだ。
そんなちょっと浮ついたふわふわした感覚で連絡を待っていたら、彼女からのメッセージに急に地面に足がつき始めた。
この人には本気で向き合いたいと思わせる静かな真摯さ
というような質問が投げられた。
正直、最初は困った。なんてったって、実物より1.8倍可愛く見せたいと思っていた私だ。すでにそのままを捉えてもらおうと思っていない。プロの腕と高価なカメラと光の力を使って、”詐欺写真にならないギリギリラインの良さげに見せる写真”を期待していた。小道具を持ってちょっと華やかに撮ってもらおうかぐらい思っていた。
このカメラマンさんはなんか想像していた感じと違う。私も本気で臨みたい。私はどんな写真をこの人に撮ってもらいたいだろう?どんな自分の在り方を切り取りたいんだろう。
送られてきたアンケートを見て、自分の写真を撮るとはなんだろう?と急に考え始めた。
同時に、カメラマンとは、ただ綺麗に写真を撮る人なんじゃないんだ、と気付かされた。カメラマンの本質は、こういうところなんだろう。
真っ直ぐなエネルギーは、相手も真っ直ぐにさせる
本気で"いい写真"を撮ってもらいたい。パソコン越しであっても、対面したとしても、全然違うじゃん!と思わない、そのままの私を切り取ってもらいたくなった。ストレートな問いはパワフルだ。
そう決めて、アンケートの解を探すも、まとまらない、書けない。なんて書いたらいいか、浮かばない。頭の片隅に、アンケートの問いがいつもあるけど、書けない苦しい日が続いた。
書けない理由は簡単で、「こんな自分を撮ってほしい」がぼんやりして、決まらないからだった。「こう見せたい」という覚悟が決まっていないというニュアンスが近い。
そういう葛藤がある時、大体いろんなことが起こる。大好きなおばあちゃんが亡くなったり、2年ぶりに実家に帰ったり、コーチとして挑戦する6ヶ月だと腹を括ったり。ずっと君はどんな顔を晒していきたいの?と問われているような感覚だった。
大切な人の死と、2年ぶりの帰省。環境の変化は、人の心を揺さぶる。
君はコーチとして、彫金作家として、親として、どういう人でありたいの?
色んな気持ちが起こっては消え、形になってなくなり、変化を遂げて、東京に戻ってきた頃には、覚悟が決まっていた。
そんな気持ちを固めて、アンケートに自分の言葉で綴った。
そのままを切り取るように映し出す
撮影当日。初めて会ったカメラマンは、おっきなリュックを担いで、上野公園にやってきた。初めましてなんだけど、この2ヶ月くらい何度もやりとりしたから、全然初めましてな感じがしない。
何度も言われた。初めはよくわからなかったけど、少しづつ緊張が取れてなんとなく素になってくる。
そんなことを感じてもらえたらいいなと思って、成人式の美しい着物でハレを残す写真でも、結婚式の幸せな一瞬を記録する写真とも違う。私の覚悟と気持ちを届ける写真をコーチとしてと彫金作家として2つの顔を撮っていただいた。
コーチとして
彫金作家として
作品になったら、印象は見る側に委ねられる
成人式の着物と、結婚式のウエディングドレスという特別中の特別の写真しか撮ってもらったことがなかった私が、こうやってプロのカメラマンに、伝えたい自分の姿をイメージして、職業としての覚悟を胸に、滲み出るように映し出してもらった。どうだろう?見る方によって受け取る感覚は違うだろう。
写真という作品になって出てきたものは、もう何も手が加えられない。作品を見た人に、どう受け取られるかは、受け取り手次第だ。
この写真を見て、私をどんな人だと想像するだろう。
優しそうな人、自分のことが好きそうな人、他人に厳しそうな人、面白いことが好きそうな人、真面目な人、凝り性な人、計画性がありそうな人…
私が伝えたいと決めて、カメラの前にたったイメージと、全く違うメッセージを送っているかもしれないし、近しいものを受け取ってもらったかもしれない。
今回、プロフィール写真とは面白いと思った。鏡で反転した様子しか見ない自分の写真をカメラで撮影してもらうと自分の様子を客観的に知ることになる。あれ?私のイメージと違うという表情もあるだろうし、そうそう、これは私の認識通りだということもある。
写真撮影は、多面的に自分を知るツールに最適だ
自己認識には内面的と外面的の2つあるらしい。
内面的自己認識は、コーチングや自己探求でかなり進む。
外面的自己認識は、まさにこのカメラというファインダーを通して自分が他者からどう見られているかを知ることにつながる気がする。
写真という、「今この瞬間を切り取る1枚」から自分を知るプログラムをやってみたいと妄想するほど、プロに写真を取られる体験は、面白かった。
普段は一般個人を撮影しない冨田実布(とみたん)に、写真をとってもらった奇跡に感謝だ。ある人が言ってくれた。オリジナルにこだわるあなたらしい出会いだね。と。
本当にそうだ。仲間に紹介してもらい、カメラマンの「とみたん」に出会った。梅雨になるちょっと前のよく晴れた日に、私が大好きな上野公園で撮影してもらった。こんな良い写真は、今のところこれしかない。
この記事が参加している募集
数字で見える応援が、日々の励みとなります。一瞬でも、あなたの人生に何かハッピーをお届けできたらこれほど嬉しいことはありません。