母乳工場閉鎖/断乳のはじまり
3月2日深夜27時。ふと断乳を決行しようと思い立ち、現在4回目の昼を迎えている。大きな岩が張り付いたような胸に、肩こりもくっついて、体がガチガチかちこちな彫金作家でコーチのぐっちです。
断乳という非常にデリケートな話題を容赦なく書いてみようと思う。子育てしながらコーチをする私。これを記しておかねばならぬという妙な使命感が湧いている。えらく長編になりそうなので、まず序章として断乳の始まりを書いてみたい。
断乳・卒乳ってなに?
全ての子育てをするママさんが避けて通れない母乳問題。出産以降、出ない・飲まない・頻回でつらいなど、たくさん悩みながらも向き合ってきた授乳。最後のテーマが「断乳」または「卒乳」。
母乳に縁遠い方に伝わるようにさくっと「断乳」について書いてみる。まだまだ飲みたいという我が子にある日突然おっぱいを飲ませることをやめることだ。
生まれて1年。飲まないのが心配だの、体重を増やすために母乳とミルクと離乳食のバランスはどうしようだの、張ってきて痛いからもっと飲んでほしいと咥えさせるだの、美味しいですか・・・よかったですと安堵するだの、出産してずっと、目の前の小さな赤ちゃんと母乳については対話してきた。それがある日突然、親の"都合"と"決意"によって断たれる。
"卒乳"と"断乳"は、ニュアンスとして、卒乳はフェードアウトするように本人がもういらないと言うかの如く、興味を無くしてやめていくこと。断乳はもっとハードで、ある日突然消え失せるという違いがある。長女の場合は、日中飲まなくなって夜の授乳を絶ってクローズした"卒乳"だったけど、次女の場合は3月2日の日中までしっかり飲ませていたのに、夜になって急にストップして今に至るのでまさしく「断乳」だ。
断乳の時期を模索する
2020年4月。一回目の緊急事態宣言が発令された日に生まれた次女。今年の4月から0歳児として保育園に入園する。授乳中のままだと、保育園で母乳が飲めないので本人も辛いし、先生も困る。私自身も、仕事しながら胸が張るのも辛い。そんな理由から、復帰前の1歳の誕生日までには断たないといけないと夏頃から思っていた。
2月になり、いよいよ決行日を決めないといけないと思いつつ、なかなか決心ができずにいた。止めるときはまさに決行だ。赤ちゃんはおっぱいが大好きだ。なくなるととても悲しい。力の限り激しく泣き叫ぶのは目に見えている。特に辛いのが夜。母も眠いし、本人も眠い。今までは、ふと目が覚めて泣けばすぐに咥えさせられ、すーっと寝れた大好きなアレが、いくら泣いて求めてもやってこない。
長女の夜の断乳初日は、3時間近く全力で「くれ〜くれ〜」と泣いている地獄絵図だった。いまだにあの夜は忘れられない。一人目でまだ育児に慣れていない頃だったので、この泣き声が、魂の叫びに聞こえて、ずっと胸が締め付けられる様に辛かった。思い出すだけで3歳になった長女に優しくなれる。
4月7日は誕生日。満1歳の誕生日にしようかと思いけど、すこし仕事や保育園のバランスで遅い。3月中かな・・・・と思いながら決められず、問題先送りのまま3月になった。4月の入園式まで1ヶ月を切ってしまう。
断乳を阻む親心
こんな風になかなか決められないのは、3つの辛いがある。
1)泣き叫ぶ顔も見るのが辛い
2)夜中泣き叫ぶので寝れないのが辛い
3)可愛い姿を見れないのが辛い
1)泣き叫ぶ顔も見るのが辛い
大好きなアレがなくなってしまって、泣き叫ぶ顔。
どこいったのー!飲みたいのーーーーー!
のたうちまわって怒り狂う姿はかなり苦しい。ついさっきまでどうぞどうぞとあげていたのに、突然親の都合でなくすなんて申し訳ない。その顔を見ていられないから、ちょっとだけあげちゃおうかな・・・なんて甘い心はお互いよくない。一度決めたら最後まで突き進まねばならない。それが断乳。それが親の優しさ。わかっているけど、我が子が私を求めて泣き叫ぶ姿を見るのは辛い。
2)夜中泣き叫ぶので寝れないのが辛い
日中の断乳は割と容易い。お腹が空いたのなら、離乳食をあげたり、ミルクを作ればいい。気分転換にだっこして公園に散歩することもできるし、TVをみて意識を他に向けることもできる。でも夜は眠い。
だいたい深夜2時とか3時。
「あのいつもくれていたおっぱいはどこですか〜!!!!あれください!
ちょっと甘いあのおいしいの!優しいの!落ち着くやつください〜!!!」
泣き叫ぶ。眠いし、みんな寝てるし、暗くて寂しくて寒い中、よしよし落ち着け、と抱きしめたり、トントンしたりする。あぁ眠い。ギャン泣きすぎて寝れない。そんな日がだいたい2〜3日は続くと言われる。ハードな夜は極力避けたくなる。あの夜は辛い。
3)可愛い姿を見れないのが辛い
1と2は、想像通りだろうけど、案外この 3)の理由は精神的に大きい気がする。
肌と肌をくっつけて、チュッチュする顔は可愛くてたまらない。母親の特権。お腹を痛めて切って、激痛に耐えて産んだからこそのご褒美の様な、あの顔・姿が見れなくなるのが寂しい!というママさんは多いと思う。
自分の体から出るものをあれほど美味しそうにへばりついて飲んでくれて、飲み終わったあと恍惚の顔でニッコリ微笑んでくれるあの瞬間。最高に幸せだ。あの顔がもう2度と見れなくなって、その代わり、求めてくれるのに、一切無視して泣き叫ぶ顔がやってくる。この変化を耐え忍ぶことは、予想以上に母は辛い。
お腹に宿して10ヶ月。授乳し始めて約1年。なんだかんだで2年弱。
ずっと私の体内とつながっていた可愛いの塊を母の都合と決断で切り離すのは寂しくて、可哀想で、ずっとこのまま小さい赤ちゃんのまま、この時がずっと続けばいいのに・・・とさえ思ってしまう。
だから迷ってしまう。我が子が可愛くてたまらないから、無理やりほしいものを親の都合で切り離すのはどうなの?と思ってしまう。あの可愛い顔が見れなくなるのが寂しくて、いつかはやめないといけないと思いつつもタイミングを決めかねてしまう。
いつかは必ず乳離する
いつかはやめないといけない。自然とやめられるか、手荒に止めるかの違いだ。職場復帰もせまっている。栄養は離乳食や粉ミルクから十分に取れていて、ほぼ母乳の役割は精神安定効果だ。生物の成長的にはなくてもいい(はず)。私も夜の授乳は辛いし、ぐっすり朝まで起きずに寝たい。子どもも断乳したら朝まで起きずぐっすり眠れるように癖がつくので、ここは双方が一段成長するために必要なフェーズなので、腹をくくる必要がある。
頭ではわかっているけど、なかなか決められずに時が経つ。私にとって断乳とは、ただ”授乳を止めること”ではなく、母親としての最初の役割終了の告知であり、娘の健やかな成長を祝うことであり、育休から職場復帰することを現実視させられることなど、たくさん意味あって、頭と心が複雑に絡み合うことことだった。
こんな複雑な気持ちを抱きながら、決断できずにずるずるいた私。夜、授乳しながら、いつかこれもやめないといけないとずっと頭の片隅にあった私。それが、ふと3月2日の27時ごろ、「今から断乳する!!!」と決めた。そして、即始まった私の断乳日記。次回はその経緯を記してみたい。まずはここまで、長い前置きを読んでくださってありがとうございます!
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