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私立小学校の講演を聞いて 

先日、私立小学校の校長・先生の講演を聞く機会がありました。

いくつかの学校のお話しを聞きましたが、その中の1校は遠方で今まで殆ど調べた事がない私立小学校でした。

つい最近「結果的に公立に通う事になって良かった」と書いたばかりですが、講演を聞いた直後は「やっぱり私立は違う、本当に公立で良いのか?」とザワザワする程、魅力的に感じられました。

自由度が高くスピードが速い

私立小学校の講演会の中で、私が特に感じた事は

・学びの自由度の高さ
・新しい事を始める時のスピードが圧倒的に早い

という2点でした。

ICT一つ取っても、公立の場合は色々と制限をかけたり活用方法についてイチイチ許可を得なければいけなかったり、中々自由には使えないようです。
(これは普段から色々な記事でお見掛けします)

一方で私立小学校であれば、校内の合意が取れればOK。
(その辺も担当の先生に一任される事もある)

だから色々な使い方が広がっていく。

これは以前、正頭先生の講演(YouTube)でも同様の話を聞いた事がありました。

紙とペンの時代以上にICTが絡むと私立と公立の差はどんどん広がっていくと感じた瞬間でした。

また学習のまとめを「テスト」ではなく、様々なツールを使って周りにアウトプットする。

プログラミング、アート、動画と私が見た事も聞いた事もないようなアプリを使って学んでいる様子に正直圧倒されました。

悶々とした帰り道


優れた習い事は沢山ある。
今日見たプログラミング言語だって、どこかで習い事として習得できるかもしれない。
ネットで検索すれば使い方も無限に公開されているかもしれない。

だけど、学校に7時間程費やしているのに+αで私立小の子に肩を並べる程プログラミングやIT技術を習得する為の習い事に行くようでは、結局時間が足りなくなるのでは?

通学時間や金銭的負荷を考慮しても、学校の中であれだけの事を学べたら結果的にお得では?

つい最近「うちは受験しないと思う」と言ったばかりなのに(笑)
簡単に感化されてしまいました。

手段の目的化

悶々と考えた末に、私はふと気が付いた事がありました。

これって「手段の目的化」ではないか?

今回講演された先生は繰り返し、こう話していました。

「私たちはプログラミングの技術を教えたいわけではない」
相手に対する思いやりが大事
完成したアプリが使う人にとって使いやすいか?という視点が大事

「誰に向けて」「何を作るか」を考える事は「思いやり」。

この視点はどんな職業についても大切ですよね。

その伝え方は声、文字、アート、楽器等何でも良い。


変化の速い時代なので、小学校で習うプログラミング言語が大人になった時にも使える言語か分からない。

そんな事よりも、どんなツールであれ「相手の事を思う」という視点が大事なんだ。

その視点は本当に環境が整った私立小学校に行かないと備えられないのか?

そう考えてみると違う様な気がしました。

決して、私立小学校へ行かなければ育たない視点ではないはず

色々な考えに触れる事は楽しい


今回の講演は行くかどうか迷いました。
恐らく、小学校受験をしないから。

だけど、新たな視点を見つける事ができた。

食わず嫌いではなく、関係なさそうな所で何かを感じる事によって、自分が大切にしたい事の本質が見えてくる。

本やYouTubeでも同じような話が聞けたのかもしれない。

だけど、私はその日1番前で話を聞きました。
(自由席だったし、誰も前に行かないから)

先生の話に沢山リアクションして、手を挙げて、コミュニケーションを取りました。

公立とか私立とか、そんな事は関係なく
「共感」したから沢山拍手をしました。

共働き子育て中で、リアルな学びに触れる回数になる限界があるけど、子育てだけでなく自分自身の学びも大切にしようと思えた一日でした。

そして、こうしてアウトプットをする過程で私の頭の中はすごく整理されました。
いつも有難うございます。

皆さんは最近、何かリアルな学びに触れましたか?
そして、子育ての指針みたいなモノを持っていますか?

もし良かったらコメント欄で教えてください😊

今日も最後までお読み頂き、有難うございました。

素敵な一日になりますように⭐️

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