青空文庫で読書タイム〜くだもの編

子どもたちが、レモン、みかん、グレープフルーツ、キウイなどの酸っぱいくだものを買ってほしいとせがんできた。普段、チョコレートやグミばかり食べたがるのに何故だろうと思ったら、とあるYouTuberが「酸っぱい物を食べても平気な顔をするチャレンジ」をしていて、自分たちも挑戦したくなったというのだ。

そこで、今日は「くだもの」をテーマに、青空文庫で読書してみることにした。

①芥川龍之介「蜜柑」

窓から半身を乗り出していた例の娘が、あの霜焼けの手をつとのばして、勢いきおいよく左右に振ったと思うと、忽たちまち心を躍おどらすばかり暖な日の色に染まっている蜜柑が凡およそ五つ六つ、汽車を見送った子供たちの上へばらばらと空から降って来た。

舞台は「曇った冬の日暮」の二等客車。主人公の頭には「疲労と倦怠けんたいとが、まるで雪曇りの空のようなどんよりした影」がある。発車寸前、頬がひびだらけの「田舎者らしい娘」が三等の切符を握りしめ車両に入ってくる。主人公の不快感は増すばかり。しまいには、この娘が窓を開けたことによって煤煙が車内に入り込んでくる。そして、ストーリーの最後に出てくる「蜜柑」。この、不快な黒の世界に差し込まれる「蜜柑」の色。なんとも言えず美しく、希望や救いの象徴となって心に響いてくる。

②梶井基次郎「檸檬」

いったい私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈たけの詰まった紡錘形の恰好かっこうも。――結局私はそれを一つだけ買うことにした。それからの私はどこへどう歩いたのだろう。私は長い間街を歩いていた。始終私の心を圧えつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛ゆるんで来たとみえて、私は街の上で非常に幸福であった。あんなに執拗しつこかった憂鬱が、そんなものの一顆(いっか)で紛らされる――あるいは不審なことが、逆説的なほんとうであった。それにしても心というやつはなんという不可思議なやつだろう。

「えたいの知れない不吉な塊」に心をおさえつけていた主人公。焦躁、嫌悪、憂鬱。そういう物が、「檸檬」で一気に紛らわす事ができたという。長引くロックダウン生活の中で、「えたいの知れない不吉な塊」は、終始自分の身にも乗りかかってくる。私も「檸檬」爆弾を置いて、一気にこの塊を吹き飛ばしたいものだ。

③太宰治「桜桃」

子供より親が大事、と思いたい。子供よりも、その親のほうが弱いのだ。

子どもに何もしてあげられない父親が自分を不甲斐なく思う気持ちの裏返しとしての言葉だろう。夫婦喧嘩をして飛び出した先の飲み屋でさくらんぼが出された。その、さくらんぼを見て、持って帰れば喜ぶだろう子どもたちの姿を想像して、また落ち込む。

この作品を読んで、うちの旦那のことを考えた。家事や育児に協力しない(「していない」と言うと「やっている」と言い返してくる。「毎日欠かさずやる」と、「たまにやる」の違いか。)旦那も、この主人公のように、「できない」だけなのかもしれない。旦那の弱さに気づいてあげなきゃならないのだろうか。

④高村光太郎「智恵子抄ーレモン哀歌」

そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉のどに嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓さんてんでしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう


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