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これからの世界は 連帯と協調

これは私が今年の5月19日に書いた、いわば覚書ですが、自分で忘れない為に載せておきます。


世の中は今、新型コロナウイルスの脅威に晒されている。

STAY HOMEの一環として、つい最近、興味深い動画を見た。

NEWSPICKSで、落合陽一さんと歴史等の専門家の方々が座談会形式で議論するというものである。

お題は「パラダイムシフトの“新世界史”」。

新型コロナ収束後の社会をどのように再開するか。

過去の疫病は、どんなレガシーを残したか。

座談会の参加者は、私が今ハマッている出口治明さんを始め、中世の政治史に詳しい本郷和人さん、国際政治学を専門にしていらっしゃる細谷雄一さん、生態系環境研究センター室長の五箇公一さん、河合塾で世界史の講師でいらした青木裕司さん。

落合陽一さんをして、「これ以上の顔触れは無い」と言わしめた方々である。

司会は佐々木紀彦さん。

座談会は、3つのテーマに沿って進められた。

1. 過去の疫病の歴史、それによってどう世界が変わったか

2. どこが変わって、どこが変わらないのか

3. 歴史から私たちが教訓にすべきこと 

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まずはテーマ1、過去の疫病の歴史から。

代表的なのは、14世紀中頃のペスト(黒死病)である。

死者はヨーロッパで5000万人。

そして偉大な文学作品が生まれた。

ボッカチオの『デカメロン』、これはルネサンスが起こる引き金になったとも言うべき作品である。

神様に祈っても一向に救ってくれない。

それならば、自分たちで何とかしよう。

というような潮流に変わった。

次に挙げられるのは、20世紀初頭のスペイン風邪。

これによって社会が変わったというよりは、その前に社会が変わりつつあったからこそ疫病が流行るという事態になった。

社会の変化とは、人の移動である。

ペストの感染はヨーロッパ圏内だけであった。

スペイン風邪は世界中で感染者を蔓延させたのである。

死者は4000~5000万人とも言われている。

今挙げた2つに比べて認知度が低いのは、16世紀に新大陸で流行ったインフルエンザだ。

クロスビーの著書『史上最悪のインフルエンザ』。

この本には“忘れられたパンデミック”という副題が付いている。

忘れられたというくらいなので、当然レガシーは無い。

もうひとつ、速水融著の『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』。

これにも“人類とウイルスの第一次世界戦争”という副題がある。

これも「日本人の記憶から消えた」ものであるらしい。

多くの死者を出したこれらの疫病と比べると、新型コロナウイルスによる死者数は31.5万人(2020.5.18現在)。

一見大した被害ではないと思われるだろうが、ここでもうひとつの問題が生じる、と出口先生が提起する。

グローバル社会において、国同士がここまで依存し合っている状況下では、GDPの話抜きでは語れない。

日本でのGDPの低下率は約20%、アメリカに至っては40%とも言われている。

経済が回らないと社会も回らない訳で、経済が社会に与えるダメージは、死者数とは分けて考えるべきである。

1970年代以降、人間は環境破壊を繰り返して、次々と新しいウイルスを呼び込んでいる。

人間と生物のゾーニングができていないのである。

アフリカなどの地域は免疫力が弱いケースがあると共に、そもそも他の病気で死亡率が高く、新型コロナで亡くなったのかどうか判別できていないのが現状だ。

アフターコロナで何が変わるかと言えば、代表的なものは働き方改革である。

短期間では元に戻そうとする動きがあると思われるが、中・長期的に見れば、オンライン授業であったりZOOMを使った在宅会議であったり、社会のITリテラシーは高まっている。

これによって働き方改革も進むであろう、といった見方だ。

戦争ではコンピュータが、リーマンショック後はブロックチェーンが開発された。

そこまでではないが、ローカルな変化が生じる可能性は大いにある。

マスクで顔の表情が見えづらいことで、表情を現す道具であったり、人と人が会えないことで必要になるものが開発されるだろう。

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テーマ2、どこが変わって、どこが変わらないのか、についての話に進もう。

そもそも人や社会が変わる時というのは、主観的にも客観的にも痛みを味わった時である。

今回の新型コロナウイルスが、どれだけ人類に痛みを与えるか、これは今の時点で評価するには時期尚早であろう。

日本は、一人当たりの生産性が、先進国の中では最下位である。

ZOOM飲み会、というものが流行っているらしいが、ここで若い人は、上司と飲みに行って説教されるより、ZOOM飲みの方がずっと楽しいことに気づき、付き合い残業も無くなって、結果生産性が上がる効果が期待できる。

これも一種の働き方改革である。

宗教観が変わるということも有り得る。

例えば、科学は宗教になり得るか。

科学の発展が、私たちの暮らしを良くしてくれると信じ込んでいる以上、それも宗教と言えるかもしれない。

もうひとつの例として、健康信仰が世界中に広がっているという事実である。

日本には元からあるので、ピンとこない方もいらっしゃるかもしれない。

神の存在についても、二極化することが予想される。

・コロナが怖い → 神様をもっと敬わなくては。

・神様に祈っても救ってくれなかった → 神様はもう信じない。

新型コロナは、人類を試しているかのようでもある。

現在、アメリカと中国は対立し、EU諸国も離脱しようとする国があり、世界は分断されつつあるように見える。

アフリカやラテンアメリカが取り残され、南北の経済格差は一向に縮まらない。

その一方で、各国が連携して新しいワクチンや治療薬の開発に力を入れている。

これからは分断よりも協調路線に変えるのが、一番のコロナ対策だと思うが、どうだろうか。

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最後にテーマ3、歴史から私たちが教訓にすべきこと。

前章で述べたように、世界的に連帯と信頼で動くのが最善と考える。

あとは、生物の中で人間しか持っていない、「利他」という概念である。

原始では、違うDNAを持った仲間を守るなどといった、利他行動が見られた。

弱い者同士が集団で生きていくにはそうするしかなかったのだが、それが人類を発展させる結果となった。

国も個人も利己的に走りがちな現代において、利己と利他、どちらを取るか。

「均衡」も、これからのテーマとして取り上げるべきだと思う。

元々、人間が崩した自然との均衡を取り戻すのである。

人間は人間が住むべき所で暮らす。

自然は破壊せず、生態系を守る。

ウイルスとの共存を唱える学者もいるようだが、ウイルスは人間のエリア内では根絶させねばならない。

将来の危険が大き過ぎるからである。

しかし、ヒアリなどの例を見ても、元いた所に戻すのが目的であり、絶滅させるわけではない。

それが「均衡」を保つということである。

均衡は一国でできるわけではない。

一年でできるものでもない。

10年単位で、世界中の国々が協力して初めて達成できる。

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この座談会を視聴して、私が思ったことは、「欲」の方向を変える必要があるということだ。

今は自分の生活、自分の国の利益しか考えない、ギスギスした空気が蔓延している。

自分さえ良ければ、という「欲」を、共生・共栄・共存したいという「欲」に変えること。

そして、これをきっかけに、国も年代も超えて、環境や生物、植物の生態系を守り、南北格差の是正に取り組むことで地球温暖化を止める。

世界中の人々が自然に暮らしを楽しみ、内面的にももっと豊かになれる社会が理想である。

これが先進国や発展途上国、後進国も巻き込んで実現されれば、座談会の最後に、落合さんが言った「誰一人取りこぼさない」ようにすることも可能になるのである。


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