「恵まれない子どもたち」はなぜ学校の先生になりたがるのか


子供時代に、年に一度は学校で恵まれない子どもたちの生活をビデオで見せられ、募金をしたり、古着を送ったりした人は多いと思う。

夕ご飯時にそんな特集を見て、無言のきまずい雰囲気になったこともあると思う。

小学生の頃から、ある疑問があった。
なぜか、「恵まれない子どもたち」の夢は例外なく学校の先生、たまに看護師なのだ。学校で見せるものだから、学校の先生に媚びてるのかとも邪推した。

しかしこの前ふと思い出し、考え、納得した。
そこに真の貧しさを感じた。

まずは日本の子供の夢を確認する。
日本の小学生のなりたい職業はこちらを参照するとわかる。多種多様だ。彼ら彼女らの身近なヒーローへの憧れなのだろう。

2017年度小学生の「将来なりたい職業」ランキング
https://news.mynavi.jp/article/20180424-621599/

ここからは、想像による補完が入るのだけど。
恐らく「恵まれない子どもたち」の世界にユーチューバーはいない。研究者もいない。プロのサッカー選手もいなければ、パティシエールもいない。

想像できないもの、知らないものに将来なりたいと思う子供なんていない。カツ丼を知らない人はカツ丼を食べたいとは思わない。

彼ら彼女らの世界は農業・畜産などの家業と、学校しかないのだろう。だから憧れる対象が、学校の先生くらいしかないのだろう。普段の生活だけでなく、夢見ることすら制限されていて、しかもその自覚がない(ように思える)。これが真の貧しさなのだろう。そう思ったら、寒気に近い寂しさを覚えた。

僕にはどうすることもできない。僕は自分の生活をより楽にすることだけで精一杯だ。募金はそこそこの額を突っ込んでいるが、これは募金で解決することのようにも思えない。

僕自身貧しい子供時代を過ごした。もしかしたら僕も、彼ら、彼女らと同様の「貧しさ」を抱えて生きているのかもしれない。