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35歳、ひとり、中川屋酒店で呑む


・抱えた負の感情

生きていれば疲れる日もある。
いや、疲れている日の方が多いのかも知れない。
休日であればワクワクしながら「今日はどこに飲みにいこうかなぁ」と胸を踊らせる。
が、平日は辛く長い業務がある。
納期の調整、売り上げの管理、人間関係の相談、長い会議。
こうして書いているだけでも気が重くなってくる。
モヤモヤやイライラ、そういった負の感情を沢山抱えることになる。
とてもではないが「ワクワク」といった希望に満ちた感情など持てるはずもない。
様々感情を抱えた家路の最中は「どこかにこの気持ちを置いていきたい」のだ。

そんな日にワイワイと賑わっているチェーン店や話題の新店ではかえって疲れがたまる。
なかなか来ないドリンクやフード、異様に盛り上がっている学生、あからさまに空気の悪い会社の飲み会。
ただでさえ手一杯のところにさらに負の感情を押し付けられてしまう。

かといって一見さんお断りといった風情のいわゆる「地元の名店」には要注意だ。
自分の顔が売れていない、明らかに新規の客だとわかってしまうと非常に面倒なことになる。
365日中、350日はその店で飲んでいるであろうヌシのような常連客に「あんまり見ない顔だねぇ、はじめて?」「この店じゃこれ食わんとあかんよ!」などと絡まれること請け合い。
もちろん、こういった交流を全くしないわけではないが、こちらにもペースがある。
せめてイニシアチブはこちらに委ねておいて欲しい。

というふうに、その日の酒場選びは非常に重要なのだ。
もちろん人によって、その日の気分によってそれは左右される。
楽しみたいのか、癒されたいのか、それとも置いていきたいのか。
どれにせよそんな日は、ひとりで呑みに行くに限る。

・置いていける店

そんな「置いていきたいとき」必ず寄る店がある。
店前のテントには屋号もなにも書いておらず暖簾がかかっているだけだ。
酒屋がやっている立ち飲み、いわゆる角打ちなのだが営業時間もアバウトで暖簾がかかっていれば営業中、かかっていなければ休み。

内装はちょっと変則的なコの字カウンター。
メニューは壁のホワイトボードに通常メニュー、本日のオススメが書いてある。

揚げ物は注文の都度揚げてくれるのが嬉しい。
おでんは出汁が濃いめのいわゆる関東炊き。
しっかりと黒く炊き上げられているが味付けはそこまで濃くはなく、むしろ出汁の味が優しく、しっかりと染み込んでいて美味しい。

卵の仕上がりがエロい

厚揚げも玉子も¥120、¥340のハイボールはサントリーオールドをレモン風味の炭酸で割った一風変わったもの。
しかも入店したとき店内には誰一人おらず、意図せず本当にひとり呑みになってしまった。
店内にはもちろんBGM等なく、店主が吐き出す煙草の煙と時間だけがただ流れていく。
どこともなく壁を眺めボーっとする。この時間がとても心地よい。
どれぐらい経っただろうか、同じ様に仕事終わりの常連客がぞろぞろと入店してきた。
あっという間もなく騒がしくなりいつもの店内へと変貌を遂げたのであった。

・距離感というご馳走

ここだけ見れば明らかに一見さんお断りの店で、先述とめちゃくちゃ矛盾している。
しかしこの店の一番いいところ、それは「距離感」なのだ。
大将は訪れた常連客に会話を振る。
今日のギャンブルの結果、近所の噂話、健康状態の確認。
その会話に捌の常連が反応し各所で会話という波が立っていく。
「あれ?たっちゃん髪切った?」
「俺も今年で85や。そろそろやなぁ。」「そんなん言うてるうちは死なへんわ。」
「最近の民放はあかんなぁ、全然おもろないからYouTubeばっかりみてるわ!」「なに見てんの?」「なんやろなぁ、ニュースとかか?」「ほんなら民放でええやん!」
など、あっちこっちから脈絡も責任もない会話が飛び交い聞いている。

まさに「いつもの立飲み屋」に集まった演者達だ。
それを視聴者として眺めている。そんな感覚に陥っている。
決して嫌な顔をしているわけでもないし、イヤホンをつけて「話しかけてくれるな」アピールしている訳でもない。
演者たちはひたすらに演じ、視聴者はひたすらに視ているだけ。
もちろん顔なじみの常連からは声をかけられることはある。
今日は何食うてんの?とか、またハイボール?飽きへんなぁ、など、とりとめのない話。
そしてまた視聴者に戻り演者達を眺める。
こういった距離感が最高のごちそうなのだ。

・演者と視聴者

ただただ視聴者であることを貫く。
するとなぜか自分の中の負の感情が薄く薄くなっていくのがわかる。
鬱々とした気持ちが決して晴れるわけではない。
が、だんだんと薄まっていくのだ。
生活の上では時分自身が演者であることで抱えるストレスや怒り悲しみがある。
そんな生活の上でこの店にいる自分は視聴者でありその場において何の影響力もなく責任もない。
責任のなさ故に深く考えることもないし強く思うことも必要ない。
だからこそ置いていけるのだろう。
ただただ騒がしくなったカウンターの端でハイボールとおでんをつまむ。
正直、味などどうでもいいのかもしれない。
この「いつもの立ち飲み屋」という作品を眺めているだけ。
ただそれだけで十分なのだ。

・いつもの立飲み屋。


ハイボールを3杯、おでんを2品で会計を済ませる。
にぎやかな店内ながらも大将は即座に対応。
料理から酒の提供、会計や常連との会話まで一人だ。
しかし疲れは見せず、いつもニコニコしている。
お先に失礼します、と常連客達に声をかけて店を出る。
「また明日な!」やら「こんな店もう来んでええで!」などいろんな形の愛のある挨拶で見送ってくれる。
日常の小さな負の感情を薄めて置いていかせてくれる。
この「いつもの立飲み屋」という作品をまた見に来よう。
ふわふわと、ただ揺蕩うために。

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