【ブックレビュー】「人物叢書・福地桜痴」附録編「文学者としての福地桜痴」
前回の続き
本文編では新聞記者および政治家としての福地桜痴(源一郎)がメインだったが、前回述べたように作者の柳田泉さんは文学者である。
桜痴の文学についての批評も結構なページ数を割いて書かれているので書いていきたい。
戯曲編
「文学に於て構造的美観を最も多量に持ち得るもの」を小説だという谷崎潤一郎に反対して、一番は寧ろ戯曲であろうと述べたのは芥川龍之介であり、この発言に同調を示したのは中島敦である。
事実、西洋では芝居は最高芸術であり、劇場は紳士淑女の社交場であった。
そのため西洋の国では他国の来客をもてなすために劇場に招待する風習があった。
しかし当時の日本では芝居は下々のもの、日本の使節には劇場になれない人々ばかりで、最初は頑張って見ている。しかし異国の言葉がさっぱり解らないものだから皆睡眠モードに突入
接待係の外国人は当然困惑する。通訳をつとめていて、辛うじて眠気をこらえていた福地に訳を聞いてみた。
接待「Why Japanese People!? 日本ニハ芝居ナイノデスカ? ソレトモ武士ハ劇ガ嫌イナノデスカ?」
福地「要するに言語の壁があるからでしょう。内容が分からなければ面白くない。僕でさえそうなのだから上司の方々はなおさらでしょう」
接待「Oh!ナルホドネ. ソレナラオ前台本読ンデ劇ノ内容仲間ニ教エナサイ」
そこで、次から前説を福地が担当するようになり、おかげで居眠り組は減った。
福地もだんだん劇が面白くなっていき、自分から脚本を読み漁るようになり、その流れで小説も読み、とうとうシェイクスピアが一位、シルレルが二位、という風に批評までするようになる。
西洋文学が彼の文学の原点になったのだ。
ちなみに幼少期の福地は娯楽に触れるのを禁じられていたため、それまで文学体験はほとんどなかったらしい。
福地はしばらくは政府の人間であったため、執筆活動はせず、歌舞伎役者の友人に西洋文学の面白さや日本の芝居の愚痴を語るのみにとどまっていた。
政府を辞め、新聞記者となったことで、日本の演劇改革に着手
まずは日本の芝居を学び直すため、江戸時代の浄瑠璃の台本を600~900冊買い占めた。
「哲学的でも無ければ社会的でも無く又歴史的でも無ければ詩的でも無し」浄瑠璃は時代を追うごとにつまらなく感じたが、しばらくして光明を見出す。
近松半二作、「妹背山婦女庭訓」は、舞台の真ん中しか使わない芝居の旧弊から逸脱し、上座から下座まで広く使い観客を喜ばせた。
こうして嫌いな浄瑠璃からもいい所を見出した福地はその長所を拡張し、話の筋が自然なヨーロッパの歴史劇の構成を取り入れる改革思想を打ち出した。
明治の政治論争が下火となった1874年ごろから演劇改良論を新聞のコラムに書くようになる。
曰く、演劇だけを改良するのではない。それを作る作者・劇場・役者の見識を合わせて改良せねばならない。
そしてその思想は歌舞伎座建築・市川団十郎、河竹黙阿弥といった俳優や劇作家とのタッグによって実現するところとなる。
福地の戯曲の特徴は、西洋の叙事詩のような史実を活かした論理性、背景や人物は歴史の筋を助けるために使う。創作の取り入れ方が自然で、導入・クライマックス・大円団といった三幕構成や、シェイクスピアのような五幕構成でボルテージを上げるつくりになっている。
小説編
福地は小説に関しては改革を志すというほどではなかったが、ユゴー「レ=ミゼラブル」のような面白い流行小説を好んだらしい。
日日新聞退社直後に小説家に転職できたことも、彼に対するアンテナの高さを物語っている。
風刺小説は政治家時代の鬱憤が存分にぶちまけており、暴露的で道化じみているが面白いらしい
劇作家らしく演劇の段取りを取り入れた歴史小説やロマンスのほか、翻訳も少しある。
「昆太利物語」(英首相を務めたディズレーリの政治小説「コンタリーニ・フレミング」の翻訳)は若者に歓迎され、北村透谷も感銘を受けたという
歴史物編
福地は劇や小説よりも歴史が本職であると語っており、日日新聞の年末のコラムには、一年の歴史的しめくくりを書いていた。
彼は元々幕府側の人間であり、幕府を倒してできた明治政府に都合の良い歴史ではいけない、公平な歴史を作るべきだとし、「幕府衰亡論」などを記した
かつての上司からの受け売りも多いため、井伊直弼や勝海舟を良く言っていないなどの特徴もあるが、幕府側の資料として重宝されてきた。
渋沢栄一との共同事業「徳川慶喜公伝」執筆や、条野採菊の協力による大規模な徳川幕府の歴史など、未完に終わった著作も多い
感想
本当に多彩な方だったということが分かりますが、特に舞台の改革については偉人と言っていい方ですね。
彼の演劇遍歴と盟友・市川団十郎との交流が書いてある資料として、以下のものがおすすめです。
団十郎が亡くなってからほとんど脚本を書かなかったというから本当に信頼していたのでしょうね。
彼の小説もいつか読んでみたい。
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