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ヤギとニワトリと憧れのピクニック

暑くもなく寒くもない、11月のある日の午後。

いつものように庭に出て、ヤギとニワトリたちと遊んでいた。とても気持ちが良い天気だった。青く澄んだ空は、ずっと見上げていたい色をしている。

この日は少し特別だった。

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ニワトリは水浴びをしない代わりに、砂浴びをする習性がある。腐葉土のように少し冷たく、しっとりサラサラした土が好きみたいだ。この日もそんな絶妙なスポットを勝手に見つけては楽しそうに砂浴びをしていた。

「気持ちよさそうだねえ」

ニワトリが嬉しそうな姿を見て、私も嬉しくなる。彼らの幸せは私の幸せだ。砂浴びをしている様子をいつまでも見ていたくて、すぐ近くの地面に座った。

すると2頭のヤギが近寄ってきた。

ヤギは離れた場所で草を食べていたはずだけど、私が座ったのを見て引き寄せられたらしい。いくつになっても甘えん坊なのだ。そして2頭とも私の真横に座り、ヤギ特有のもぐもぐ反芻を始めた。

なんて平和なピクニックなんだろう。

砂浴びをするニワトリ、ニワトリを見るために座った私、私の隣にいたくて座ったヤギ――

湖畔の田舎町で暮らし始めて丸4年、今5年目を迎えている。きっとこの暮らしを始める前の自分にこの様子を見せたら「いいなあ」と言ったに違いない。私はこの風景に憧れていた。人と動物が自然のなかで一緒にたわむれ暮らす、これこそが自分が描く理想の世界。

思えばすぐにはこの風景を作り上げることはできなかった。いや、作り上げるという言葉もなんか変だ。しっくりこない。どちらかと言うと、気が付いたら自然とそうなっていた、という感じだ。

人生というのは、焦ってわざわざ理想の世界を作り上げようとしなくても、勝手にそっちの方向に転がっていくものなのかもしれない。数年かかっても力は自然と働いてくれている。果物と同じで、熟すものはあれやこれやと手を加えなくても、時が来ればひとりでに熟すのだ。

そういう意味で、ささやかな理想の世界を持ってさえいれば、時間が自然とそちらの方向へ誘導してくれるような気がする。もちろん家族など周囲の人の支えがあってこそ、だけれども。

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左にニワトリ、中央に私、右にヤギ
遊びに来ていた父が撮ってくれた

動物たちとのピクニックは本当に平和だった。

この日たまたま両親が遊びに来ていて、写真を撮ってくれたりして、それもまた思い出になった。

風が吹けば木の葉が揺れるどんな小さな音でもキャッチできそうな、静かで穏やかな日。これからもこんな日常を大切に生きていきたいな。

そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。