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沼にはまって抜け出せないほど好きな作品

先日、今まで観てきた映画の中で指折りの作品を見つけてしまった。

私は音楽や映画などで気に入った作品があると、とにかく深く掘り下げるタイプだ。「沼る」という表現がしっくりくる。「沼る」を知らない人向けに解説しておくと「沼にはまって抜け出せなくなった状態のように、何かにどっぷりはまって夢中になること」である。

私の場合、好きな映画を見つけて沼りだすと、キャストや監督のインタビュー記事を読みあさったり、試写会の舞台挨拶の様子をYouTubeで観たりする(ネットニュースだとつまらない部分だけ切り抜かれているからトークカットなしが重要)。

映画や音楽で沼っている作品があるタイミングは、人生が少し華やいでいる。生きるのが楽しい。文化的な生活って大切なんだな。

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私が沼った作品は『市子(いちこ)』という映画だ。

ジャンルとしては、社会派寄りのサスペンス映画といった感じだ。大まかなあらすじは、結婚のプロポーズを受けた翌日に主人公の市子が失踪し、恋人が警察とともに市子を探していく中で、彼女の悲しくも壮絶な過去を知っていく物語。

単なるサスペンス映画でないのは、現実の日本でも起こっている「無戸籍問題」や「ヤングケアラー」などの社会問題をテーマに扱っているから。実際に市子みたいな人がいてもおかしくない。

「離婚後300日問題」など無戸籍になってしまう背景を初めて知ったし、戸籍がないことで婚姻届の提出など手続きを完了するのに高いハードルがあることもよくわかった。また、家族に障害を持つ人がいる場合の生き方の難しさも痛感した。

私がこの作品に沼った理由は「重いテーマを取り扱っているのに、なぜか何度も観たくなる魅力があるから」だ。

戦争や社会問題など重いテーマを扱う作品は「一度観れば十分」みたいなところがあると思う。一度観て、心がずっしりとして、しばらく考えて、終わり。それなりにエネルギーも必要だし。もう一度観るにしても数年後とか、時間が経過している必要がある。

でも不思議と『市子』は一回観て、すぐ翌日にもう一回観た。

まだまだ作品の世界に入り込んでいたいと思わされた感じ。まさに沼。

なぜここまで魅力的なのか考えてみたところ「映画作品としての芸術性」みたいなものが個人的なツボに入ったからではないかと思った。

例えばキャストの演技は芸術性を高めるために必須の条件ではないか。この映画に出ているキャストは、みんな実力派ですごい面々。「どうやったらそんな演技できるんですか」と本気で興味があるから、インタビュー記事や舞台挨拶を食い入るように調べちゃうんだろうな(市子のおかげで杉咲花と若葉竜也の大ファンに)。

ほかにも、作品中に出てくるセミの写し方やメッセージ性が独特でおもしろかった。監督もセミがもたらす意味について言及していて、作品中の重要性がうかがえる。セミって日本人にとっては単なる虫ではなくて、何かの象徴であることが多いよね。松尾芭蕉も「閑さや岩にしみ入る蝉の声」と詠んだわけだし。

そういう意味で『市子』は社会問題を生々しくとりあげつつ、映画作品としての美しさがあるから何度も観たくなるのだろう。

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最近手に入れた一輪挿しに、小さく健気に咲いていた雑草を

ビジネスの世界でTTPと言えば「徹底的にパクる」を意味する。大企業でも用いられている一般的なビジネス手法で、成功している人や企業をあらゆる段階で真似ることを呼ぶそう。

今の私はTTNと書いて「徹底的に沼る」の状態にある。――これは造語です(あたりまえか笑)。

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