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焼き芋の時間

自分一人だったらやろうと思えないことも、自分以外の人がいるならやろうと思えることがある。

例えば「夜ご飯を作る」という作業は、一人だったら雑になるか、もしくはやらない可能性がある。作らなきゃ、食べなきゃ、という気持ちがそもそも起こらないのだ。何にも縛られないことは自由でもあり、虚無にもなり得る。

自分以外の人の存在があるからやる。流されているようで、実はとても大きなモチベーション。

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先日、縁側に腰掛けながら、熱々の焼き芋を食べた。そこには、夫、私の父、私の母、の四人がいた。

せっかく両親が遊びに来てくれるならということで、庭の竹や草木を燃やしながら焚き火をし、焼き芋をしたのだ。大きなサツマイモを7本焼いた。

夫と私は湖畔へ移住してきてから、庭木の手入れついでに焼き芋をよく作っている。最初は煙たい味になってしまったり、焦げてしまったり、上手にいかないこともあったけれど、今はある程度のコツを掴み、失敗なく美味しい焚き火焼き芋を作れるようになった。

ささやかなことだけれども、数をこなすと何事も上達するようだ。

サツマイモは今月掘られたばかりの新芋で、みずみずしかった。熟成させていないから甘味は驚くほど出ているわけではないけれど、それくらいの清涼さが感じられる方が個人的には好みである。

焼きたての芋をアルミホイルから出すと、ふんわりと焼き芋の甘い香りが漂う。ほんの少し焦げたような香りもする。優しい手つきで半分に割ると、明るいレモン色のサツマイモが顔を出す。

縁側に腰掛けて、みんなで「美味しいねえ」と言いながら焼き芋を食べた。

私にとってその時間はとてもかけがえのないものだった。「家族が皆元気に今この瞬間を共に過ごせることの有難さ」を感じた。目から感情があふれ出そうだったけど、恥ずかしいから焼き芋と一緒にむりやり飲み込んだ。

竹や草木を燃やしながら焼き芋を作る作業は、想像以上に大変なもの。火を起こし、焚き火の材料を集め、材料を切断し、温度の様子を見て、サツマイモを洗浄し包み、焼き加減を判断するなど、やることが多い。

しかし出来上がったものを食べる瞬間は、大変さ以上に嬉しいものだ。

果たしてこれを一人でやって下さい、と言われたらやるだろうか。大変だったね、楽しいね、美味しいね、と言い合える誰かがすぐそばに居てくれることの大きさとエネルギーをただ感じるばかりである。

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焼き芋はその美味しさに魅力があるのはもちろんだが、誰かと一緒に焼き芋を作ることで、「自分以外の人と時間を過ごすこと・生きること」のポジティブな面を感じさせてくれる、人生教訓的な魅力も持っている食べ物と思う。

焼き芋にまつわる哲学は広がっていく。

そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。