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縁側で浴びる陽の光

ここ最近の朝は、縁側に置いたソファで日光浴をしている。

日光を浴びている最中は基本何もしない。ソファに腰掛けるか、ソファの上で正座して、あとは30分間くらい太陽の方を向いて目をつむるだけ。

目を開けると眩しくて、とてもじゃないけど開けていられない。それでも瞼の上から光が燦々と自分に降り注いでいるのがよく分かる。だんだん顔が温まってきて、徐々にカラダ全体へとじんわり温かさが広がっていく。あったかい。

「こんな無駄な時間を過ごして何やってるんだろう、時間がもったいない」きっと少し前の自分ならそう思っていたことだろう。でも今はちょっと違う。

進んで自分をメンテナンスしているし、そのために無駄と思える時間、何も考えない時間のなかに積極的に身を置いている。

日光浴はとても気持ちが良い。不思議とここ数年ずっと希薄だった幸福感(のようなもの)がふんわり漂ってきた気がした。

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最近観た映画に是枝裕和監督の『海よりもまだ深く』がある。ざっくり言うと、子あり離婚した夫婦とその周辺人物の話。そのなかで元夫のお母さん(樹木希林が演じている)が言っていた言葉が印象的だった。

「幸せってのはね、なにかを諦めないと手にできないもんなのよ」

映画『海よりもまだ深く』より

これを聞いて「あっ。しっくりくる」と思った。少し前の自分にはしっくりも共感もなかっただろう。逆に何も諦めたくないって、欲望丸出しで反発していたかもしれない。それが今は、ストンと体感として理解できる感覚があった。

これはある意味、私自身がなにかをしっかり諦めたことを意味しているのだと思う。

モノのように物体があるものではなくて、どちらかと言うと経験や考え方など「物体がないもの」を諦めたんだろうと思う。生まれてこのかた知らず知らずのうちに植え付けられて、固執してきたものをようやく諦めたからこそ、朝の30分間何もしないでソファで日光浴をしていても罪悪感を抱かず、むしろ幸福感すら覚えるようになったのだろう。

諦めることはとても大変な作業である。場合によっては数年かかることもあるだろうと思う。考え方などは特に自分にこびりついた錆びのようなものだから、綺麗になるまで時間がかかるし取りたくてもしぶとくてなかなか取れないものだ。

それでも神様のいたずらで必要があれば、錆びを溶かす溶剤に突然不本意にポチャンすることもある。というか、狐につままれるような出来事でもない限り錆びなんてものはほとんど落とせないのかもしれない。

ポチャンした瞬間はびっくりするだろうけれども、錆びが溶けていくんだから段々とその状況を飲み込めるようになるし、むしろそれで良かったんだなと錆びが取れてきたことに慣れてくる(他人から見て何かが変わったとは余程近しくないと気が付かないんだろうけれど)。

樹木希林演じる母が言っていた「幸せは何かを諦めないと手にできないもん」が妙にリアルに頭に響いている。

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今日は日光浴をしている最中、果物を食べてみた。リンゴ、柿、みかん、と旬のものがいっぱい。陽の光を浴びながら、新鮮でみずみずしい果物を食べられる喜び。

そしてそのあと少し寝た。太陽があったかくて毛布をかけられているみたいだった。

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