見出し画像

仕事観についての雑感

考えることは変わっていく。

仕事観、恋愛観、すべての価値観。変わらないよと思っていることも、実はただ似ていたり層が分厚くなっているだけで、変化しているもののようだ。

特に仕事観の変化は凄まじい。年齢、ライフステージ、暮らす場所、人との出会いなど影響を受けるものが多いから。だから仕事観はいつまで経っても確信にはなり得ず、「雑感」としてしかまとめられない。

その時の感性のままに、その時に思うことを。

今書いていることは2021年10月のものなだけであって、永遠ではないんだろう。

***

湖畔で暮らし始めて、ずっと仕事について考えてきた。仕事って何なのか?暮らしって何なのか?お金って何なのか?充実感って何なのか?

先日、すごく腑に落ちた考え方に触れたから、記録として取っておきたい。

もともと図書館で働く司書さんだった方が、旦那さんの留学に付き添うため仕事を辞めて外国で暮らし始めたときのこと。到着して間もなく地域の図書館を見学して、やっぱり図書館で再び働きたいという思いが芽生えたそう。

そのときの言葉の選び方がすごく特徴的で、心に響いてきた。

「英語もだけど、図書館関係の学び直しが楽しい。できたらもう一つ、学問に限らず他の分野でも自分の武器になる何かを見つけたい」

全体的に頷けるんだけど、特に「学問に限らず」というフレーズに感動した。

つまり、この方にとって図書館の仕事とは、学問から一続きになっていることが伺える。確かにそうだろうと思えるのは、かつて携わっていたのは大学院進学しないと就けないポジションだったそう。

「学問のその先に仕事がある」って、とても素敵だと思った。

そしてそれが、今現在の自分が求めている働き方だと直感的に分かった。

ちょうどこの方のエピソードに触れたとき、私は新しい仕事を始めていた。国家資格を持っているものの、現場で使ったことがないことにずっと違和感があった。せっかく勉強したことを職場で役立てたいとうずうずしていた。そして縁あって働き始めたところだった(これまでの個人事業も続けていく)。

学問と仕事。この一続きの関係性が今は心地よい。

学問的にはこう習ったけど、現場では違った運用がなされている。そんな違いでさえも面白い。

しばらくしたらまたこの考え方は変わってしまうのかもしれない。そう考えると、やはりいつまでも仕事観は「雑感」でしかない。

***

「自分にとって必要な情報だけを脳にインプットするフィルターのような役目を果たす機能」をRASというそう。

今の自分に必要なことはなにか?何を求めているのか?何を考えたいのか?

日常的にそれを意識していれば、私たちに備わったRASが勝手に必要な物語を見つけ出してくれる。時間はかかっても。

図書館で働いていた方のエピソードは、こうやって見つけ出されたものなのかもしれない。

そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。