家族以外の家族みたいな存在
家族ではないのに、時としてまるで本当の家族のように感じる人たちがいる。
ここ数年は、自身の仕事や生活圏などライフスタイル全般の変化が大きかったことから、なんとなくその感情を忘れてしまっていた。むしろ他人は避けるような場面さえもあった。ある種人間不信みたいなものもあったような気がする。
しかし、つい先日久しぶりに「そうだった」と思い出す機会があった。すっかり忘れてしまっていた。
家族ではないけれどまるで本当の家族のように居心地よく、数日後までその余韻で生きていけそうな空間に、久しぶりに身を置くことができた。そしてこの感覚は、今後忘れてはいけないもののような気がした。
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先日、我が家でささやかな食事会を開く機会があった。
自分たち夫婦二人と、そのほか四名が参加された。来てくれた方々には昨年中ずっと仕事でお世話になり、今年こそは御礼をさせて欲しいとこちらから申し出ていたのである。気分は小さなパーティだ。
どうしたら日頃の感謝を伝えられるだろう、どうしたら楽しい食事会になるだろうと、いろいろと悩んだ。
結局、食事はメインに近所の美味しいお寿司をチョイスし、その他のオードブルやおつまみは手作りすることにした。爪楊枝を使って、いつもはやらないお洒落に見えそうなものをたくさん作った。
お手土産には、地元で手作りされている焼き菓子の詰め合わせと花束。どれも個人商店だから意見を言いやすく、可愛らしいラッピングをしてもらえた。可愛いプレゼントを見ていると、不思議と心が和む。
食事会は終始平和だった。皆が好きなタイミングで好きなことを喋り、食べ、飲み、笑った。
そういえば最近では、夫と両親以外にリアルな場で本音を話すことってほとんどなかったな、とふと思う(もちろんnoteでは本音を包み隠さず書いているから、あくまでリアルな場という意味で)。
腹を割って話せることってこんなに気持ちが良いのかと、久しぶりに快感を覚えた。
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どうして他人が集まっても、家族みたいに感じられることがあるのだろう。
例えば同級生の友達が数人集まっただけではこんな気持ちにはならないはずだ。むしろ話すネタがなくて居心地が悪かったり、聞きたくもない噂話でうんざりするかもしれない。
そこまで考えて「共同作業」という言葉が思い浮かんだ。
もっと簡単に言えば「仕事」でもいいかもしれない。ある特定の目標に向かって一緒に走る。この共同作業を経た先に広がるゴールへたどり着いたからこそ信頼関係が成り立って、家族のような気心知れた間柄へ変容していくのだろう。
思い返せばこの感覚になることができたのは人生で四回だけだ。
一回目は中学時代に毎日がむしゃらで取り組んだ部活動。二回目は大学時代に4年間続けたアルバイト。三回目は人生を変える出会いがたくさんあった転職先。そして四回目は今回。
「同じ目標に向かって一生懸命に走り続ける人たちがいる」というのは本当に幸福なことなのだと思う。
個人で事業を行っていると、そのことをついつい忘れがちだ。なぜなら会社のように、行けば誰かしら人がいることはあり得ないから。個人でコツコツ積み上げていくほかない。だんだんと心が砂漠のように枯れ果ててしまいそうだ。
しかし、自分以外の事業者と同じ目標に向かうことだって無理な話ではないのだ。全然可能なのだ。頭では分かっていたつもりだけど、体感として理解できたことは本当に大きなことだった。砂漠に少しオアシスが湧いた気分である。
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最近物騒な事件が多く、毎日夜になるのが怖かった。いったん眠れても三時間おきに目が覚めて、その後頭がギラギラに冴えて眠れない日も増えた。
しかし、この食事会が開催された日の夜、なんと一カ月ぶりくらいに一度も目を覚ますことなくぐっすり眠ることができたのだ。とても嬉しかった。と同時に、心の安心感って睡眠に大切なんだなと感じた。
家族以外の人と家族みたいなほっとする時間を過ごせて、緊張の糸がほぐれたのかもしれない。それ以降もよく眠れる日が続いている。たくさん寝れて嬉しい。
そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。