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食欲みたいに湧く寂しさ

ふとした時に感じる寂しさは、ご飯を食べたくなったり、トイレに行きたくなったりするのと同じ生理現象であると最近は思っている。特別な理由がなくても勝手に湧く感情なのだ。

生まれた場所なのか、星のめぐりなのか分からないけれど、幼少期から寂しさを感じやすい体質だ。もちろん理由があることもあるけれど、特別な理由なしに「寂しいな」と思うことの方が多い。

学生時代や社会人になりたての頃はこの感情に随分と振り回された。今思えば単なる生理現象なのだから、湧いて然るべきもの。時間が解決してくれるさ、と気軽に構えていれば良かったのかな、なんて思う。

それを理解してもなお食欲みたいに湧くこの感情について、ついつい波に飲まれそうになることもある。けれどもさすがに人間も学習するようで、そうなった時はご飯をよく食べ、さっさと眠り、翌朝太陽の光を全身に浴びれば万事解決するらしいぞ、ということが分かってきた。単純である。

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自分が暮らしている湖畔の町にはパソコンを使った作業ができるカフェがない。少しピリッとした気持ちでサクサク作業したい時は、パソコンを持って近隣の市町村まで出向くことになる。それはそれでドライブできるし楽しい時間だ。

また別の選択肢として、夫の勤務先近くのカフェで作業をすることもある。夫が勤務している町は割と大きく、一緒に出勤するかたちで車に乗り込み、途中カフェに降ろしてもらい、夫の仕事が終わったら再びカフェまで迎えに来てもらう流れだ。

先日もこんな感じで作業を行った日があった。

朝からやることがてんこ盛りで、カフェで一人バタバタした。10時にはお腹がひどく空いて10時半にはランチした。もはやランチじゃなくてブランチの時刻だけれども。そんなこんなで充実した一日を過ごしたはずだった。

それなのに、夜になりとてつもない寂しさがやってきたのだ。――コンバンハ。

寂しさというのは理由もなく訪れることがある。その雰囲気に飲まれそうになったけれど、よく考えればその日一日の行動で後悔することはなかったし、むしろよくやったし、客観的にみて事件が起きている訳でもない。

ということは、そういうことだ。寂しさなんていうのは、生理現象みたいにふんわり漂ってくるものなのだ。そのことを理解するだけでも、心の荷物が少し軽くなったような気がする。

その日は早めに眠り、朝を迎え、すっかり寂しさは消えていた。

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先日ご近所さんからシーズン真っ盛りのイチゴを頂いた。季節のものを食べて、よく眠って、太陽光を浴びて、ほどよく体を動かす。

なんてありきたりのことなんだろうと思うけど、これこそが食欲みたいに湧いてくる寂しさを解消する一番の方法なのではと思う。深く考えず、軽やかに。

そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。