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自分に負けない自分をつくる

今年は新年を迎えてからも、特にこれといった目標は立てていない。その理由は、年が変わっても昨年から続いている事柄に変化はなく、引き続き淡々と目の前のやるべきことをこなすのみだからである。地続き、といった感じかな。

もちろん初詣に行ったり、御祈祷をしてもらったりと、新年らしく浄化された気持ちにはなっている。しかし、新しい目標を改めて設定する、ということは今年については特になかった。ほんの数年前まではどちらかと言うと新年を迎えてすぐに、手帳にあれこれと盛りだくさんに目標を書き連ねるタイプだったのに。

それが今年はさっぱりだ。「目標を考えていない」ということにすら気が付かないレベルだった。これに気が付いたのは、ひろゆきが「目標って10年くらいの長期目線で設定するのが自然ですよね」と言っていたことがきっかけだった。

それを聞いて妙に納得した。そういえば自分もたった1年では目指す方向ややることは大きく変わっていないよなと。そのとき初めて、だから今年は新年の目標をたてなかった(というか変わらないからたてようともしなかった)のだ!と理解したのである。

地続きの目標というのは、地続きだけに長い期間をかけて達成しうるものだ。時間がかかる。時間がかかるけれどもその分達成するための信念のような、体の中心を走っている軸は必然的に太くなっていく気がする。つまり折れにくい。表面的な部分では弱音を吐いたり泣いたりするけど、深部の軸は太くて折れない、みたいな。

そしてこの状態こそが「自分に負けない」ということなのではないか?と最近感じている。

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自分に負ける感覚、というのは負けたことのない人にしか分からないものなのかもしれない。私はこれまで自分に負けて自爆することがしょっちゅうあったため、その惨めな感覚をよく分かっているつもりだ。

大体「自分に負ける」という事象は、新しい環境に入ってすぐのタイミングに発生しがちである。新しい場所、新しい業務、新しい人間関係……。特に新品の人間関係やコミュニティは引き金になりやすく、誰かにいじめられるわけでもないのに、勝手にここは居場所じゃないですごめんなさいと気が引けて撤退してしまう。これが私の思う自爆だ。何度もこの爆弾を自分で踏んでは他人に迷惑をかけてしまった。

端的に言うと、自爆する時は他人軸で生きているのだ。新しいことを始めたのには本当は理由があったはずなのに、他人を理由に撤退してしまう。自分の意志よりも他人の目線を怖がる程度の、極細ポッキーのように折れやすい軸であったということだ。

この自爆を防ぐ、つまり自分に負けない自分をつくるには、深部の太くて折れない軸を持つほかないと思う。

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ではどうやって深部に太い軸をつくるのか。それは「目標を他人に褒めてもらう・認めてもらう類のものではなく、自分の本心に従ったものを自由に設定すること」なのではないかと思う。

そんな簡単なこと?という感じだけれども、逆に一番難しいと思う。なぜなら私たちは100点満点のテストが正義の義務教育を受けて育ち、人々が一様に感心するステータスに晒されまくり、それをつい目標にしがちだからだ。自分の本心に従うことの難しさは誰もが理解しているだろう。

とはいえ世に左右されない太い軸を、学生時代のような若い頃から持っている人は一定数いる。そういう人の背景には「当事者」としての明確な体験がある場合が多い気がする。

実際、自分と同じ大学の学部卒業生で、今では名前を言えば誰もが知っている社会活動家の女性がいるのだけれども、彼女は学生の頃から頭一つ抜きんでていた印象。なぜか彼女には「ここに向かいます」という、自分だけの確固たる目標がすでに設定されていたように見えた。結局卒業後は、自身の活動団体を立ち上げて今やテレビにもよく出演している。20歳そこそこでそんなふうに悟れることがすごい。

私の思う「本心に従った自由な目標」は、たぶんこれだ。

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そういえば新年の目標立ててないな~というところから、自分に負けない自分づくりとは何かを考えてみた。

30歳を越えてから、ようやく自分に負けないためにやるべきことが少しずつわかり始めてきた。単なるいい子ちゃんでは乗り切れない、白紙に思うままの線を大胆に引くことのセンスが問われている。

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