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桃の恩送り

恩送りとは一般的に、誰かから受けた恩を直接その人に返すのではなく、別の人に送ることを言うそう。

恩送りがたくさんの人たちに意識されれば、世界にはハッピーな人が増えるだろう。とはいえ、特にその言葉を意識していなくても、自然と恩送りをしている場面はきっと溢れている。

恩送りで大切なのは、「本当に心がこもっている」ことだと思う。

例えば誰かに物をあげるとして、相手のことをよく考えて買った物や、自分が本当に気に入っている物を差し出すなど。これは物だけでなく、知識や優しさもそうでしょう。真剣に相手のことを考えたり、嘘じゃない真摯な情報を提供したり。

心がこもっているということ。恩送りが増えていくきっかけはここにあるのではないか。

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連日桃を食べている。

なぜ桃を連続して食べられたかというと、実家の母が送ってくれたからだった。桃はわたしの大好物で、それを母も知っていて、二年連続で送ってきてくれた。

夏の楽しみは桃と言っても過言ではないくらい、桃は魅力的だ。皮に生えたふさふさの産毛、切込みを入れると現れる薄ピンクの果肉、滴る果汁、何度もクンクンしたくなる芳香。

「無事に届いて毎日食べてるよ、ありがとう」

母に御礼を伝えて、桃にありつく。誰かの好きなものを理解して、好きなものを的確に贈るって意外と難しいことなんじゃないかと思う。本当に好きなものってなかなか聞き出す機会もないし、表向き好きだと言っていてもそれが本心かは分かりにくいし。

桃は箱に11個収まっていた。

いま考えると不思議なのだけど、わたしはこれを見て「ああお隣さんにあげないと」と感じたのだった。

大事な桃だし、全部自分と夫で食べてもよかった。それでもお隣さんの顔が浮かび、さっそく桃を二つ紙袋へ入れて、訪問する。そしてお隣さんはこう言った。

「自分が本当に美味しいと思うものを誰かに差し出すこと、これはいいことだよ」

母からもらった桃と気持ちがお隣さんへ渡った瞬間だ。

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本当の恩送りはもう少し意味が違うかもしれない。

それでも、母が遠い土地にいる娘を想い、桃を贈ってくれた気持ちが嬉しかった。そしてそれを誰かに伝えなければと感じた(まあ気持ちだけでなく、もらった桃自体も持参しちゃったんだけど)。

結局お隣さんからは後日、自宅で収穫したという大切なイチジクを頂戴した。これは恩返しになるのだろうか。地方ではこんな物々交換が日常茶飯事だ。

いずれにしても、手渡した紙袋には二つの桃と、特別な想いを詰めたのに変わりはない。

そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。