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想定外

人生想定外の出来事があるからこそ、人生が華やぐというものです。
思ったようにいかないからと言って癇癪は起こさずに、


あっちゃーまたなんか思わぬ方向になっちまったなー


なんて苦笑しながら、肩肘張らずにいろんなことに向き合っていけるといいな。

などと、アラフィフの今、思えるようになりました。

最近仕事でバタついて、先日も仕事のミスで右往左往、胃が痛くて迷走神経反射起こしかけたりで、ダウナーになることもあるけれど、

「しょうがないな、年度末だし」
「しょうがないな、更年期始まったし」
「しょうがないな、雨だし」
「しょうがないな、年だし」
「しょうがないな、新月/満月だし」


などと、適当に誰のせいでもない感じに、仕方がないからもう「なるようになれー!(©︎ハチワレ)」の精神で暮らしています。

またちいかわ族ですみません。
胃痛はカロナールで無理やり散らしました。


以下、その考えに至る過程の、アラフォー初老母の奮闘記をどうぞ(いや全然奮闘してねえ)。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



転院先の先生はお元気かしら…。
と思いながら(半ば苦笑しながら)電車に揺られる。

…。
やっぱ遠い。
先生大変だな。
アタシ会社近くて(っつっても通勤1時間弱かかるけど)よかったぁ。


大嫌いで、苦手な梅雨の時期に乳がんがわかった。
なので、自然とその時期に診察が回ってくるようにスケジュールされてしまった。
1か月前後していれば、まだマシなのに。
因果なものだ。
しかし、まあ自分の人生こういう星回りなんだろう。


執刀医の新たな職場(C病院とする)は、いわゆるニュータウンにある。
手術を受けたA病院とは同じ大学の付属病院だ。

ららぽーとのB病院も同じ。
あちらもいわゆるニュータウンかもしれないが、歴史が古い街と新しい街(ららぽーととか)が共存している。

C病院は、どちらかというと閑静な住宅街、といった感じだ。
割と子供の頃から慣れ親しんでいる路線にあるので、実際にでかけるまで精神的な距離は感じていなかった。

なので、こんなに遠かったっけ?と戸惑っていた。
楽しいときと退屈なときの時間経過の感じ方に違いが出るというが、こんなにはかどらないものかと思った。
ららぽーとは心理的な部分で役に立っていたのか、と妙に納得していた。



買ったばかりのベビーカーを押しながら、ザンザン雨の降りしきる中病院へ向かう。
こんな天候なので、ギャルを置いて行く(休みを取らせた旦那に預ける)ことは考えたが、ちょっと自分の身体が厄介なことになっていた。



乳の出が良いのだ。



乳の出が良いということは、喜ばしいだけではない。
痛いのだ。
乳がパンパンに張るのだ。
ギャルに乳を与えないと、はちきれそうなのだ。
ホルスタイン種のメス牛もびっくりなくらい乳が出る。片乳だけ。

右側を補うだけの量を、左側が生産するのだ。


左右差がひどいことになり、細身の洋服がまったく着れなくなった。
主に授乳を行っている左側が、患部だった右に比べると、少なく見積もっても2倍は膨れていた。

見た目は結構ホラーである。
マジで人に見せられない。
(が、思い出とばかりにこっそり写真撮っといた。マジ門外不出)

だけどこれからがっつり検査だ。
がっつり診てもらうのだ。

脱いだその姿だけではない。
不格好な体つきは、着る服が無くなり困った。
なのでデカめのTシャツなどで代用した。


C病院のある駅は、快速が止まらない。
不便なことだが仕方ない。

駅前も、その病院があるくらい。
駅ビルがあるが、なんと行った当日は定休日。

駅ビルなのに定休日。
働き方改革が出過ぎていてビビる。

なんも遊ぶところが無くて途方に暮れながら、別に遊びに来たわけではないので病院へ向かう。



診察時間よりも少し前倒しで到着。

ギャルに授乳を行ってから診察に挑む。
本当に出るもんだから、ミルクはいらない、と産後1か月過ぎたころ助産師との面談時に言われたのだ。
そこからほぼ完全母乳になった。

それが決定打となり、左乳はものすごい肥大した。




今回はどうしても執刀医に聞きたいことがあった。
左右差もあるが、それ以前にびっくりしたことだ。

そう、患部であるハズの右乳房から、微量だけど意外と出てくる乳についてだ。
出産直後、こっちでも授乳しろと、言われるがままに乳を与えた患部側。


意を決して聞くと、なんとも拍子抜けした。



「そういうこともあると思います。体が持つ回復力が新しい乳腺を作り出したんでしょう」



復活した乳腺とは…。
生きてるってすばらしい。

「ご心配だったかもしれませんが、放射線できちんと乳腺は治療しています。なので、大丈夫です。むしろ授乳すると乳管が通ってがんのリスクは下がりますから」

なるほど…。
初老だなんだと、自分を卑下していたが、まったくそんなこととは裏腹に、自分の身体は無意識下で進化を遂げていた。



ありがとう私の身体。
子を成してくれて。
さらに進化を遂げて、その子に栄養を与えることができて。

あの、職場で絶望感から号泣した日から、こんな幸せなときが来ると思わなかった。

いまだから言えるが、ワタシは乳がんを経験しなければ、子供は産むことが出来なかった気がする。

子供が産まれたことでワタシの人生はカラフルになった。
それまでの人生がモノクロームだったわけではないが、あの暗黒の日々があってこその今だと感じている。

もちろん子供は産んでからが本番で、それこそ産後うつっぽくなったりしたし、産後の肥立ち的なものは、初老にはもはや死に近いとも思ったし、結構大変だった。
(が、旦那にはワタシが、カワイイギャルが生まれてうれしいベリーハッピーお花畑満開バンザイ、に見えていたらしい)

でも、それらを覆せるくらい、本当に子供がかわいかったのが幸いした。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


完全母乳はお出かけの時に荷物が少ないのでかなり楽ではありました。
ミルクの場合、お湯の入った水筒、粉ミルクと哺乳瓶を持ち歩くのは結構ヘビーではあるので、母乳で育児ができたことは本当に助かりました。
(このころ、液体ミルクを日本でも販売してほしい!という機運が高まって、署名活動に賛同したのが昨日のことのよう…)


しかし自分の貧血はエスカレートし、なおかつ、後にギャルも貧血と診断されてしまいました。

きちんと栄養を取るって本当に難しいと、子を持ってから本当に痛感しています。


ちなみに左右差のあるヌード写真は、本当にホラーです。
巨大化し、じゃがいものように若干デコボコし、なおかつ、なんとなく赤紫がかった左胸と、白く力なく垂れさがる右胸。

門外不出のその写真、こないだふと思いついてギャルに見せたら「スゴ」と一言いただきました。
そして「ママこれを他の人に見られたらお嫁に行けない」と嘘泣きしながら言うと、ちゃんと「いやもう行ってるでしょ」とツッコんでくれました。


教育した甲斐があったというものです(いやもっと他のことを教育しろよ)。


※先生とのやり取りや説明など、うる覚え過ぎる&ある程度の脚色が入っております。
また、何かご自身のお体にご不安がある場合は、専門の医療機関に問い合わせることを、強くおすすめします。

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