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エイプリルフールに見っけたクローン病の鉄腸さん。親近感が湧くの巻part2🐕

4月が始まってしまった。もうそろそろというか、社会人としては中堅片足突っ込んでるよ〜。やーだーなー。と。いつまでも心は社会人2年目。ほどほどに仕事に慣れてきて、一日の流れも把握して、そこまで大きな責任もなくて。少しずつ仕事も任せてもらえたり、他の人に頼られていくという感覚が心地良かったなあと回顧。
そんな思いにふけりながら、新聞をめくってたら、シンデレラフィットした記事を発見。
先週に引き続き、新聞記事からえらく惹かれる記事に出会うなあと。その記事とは、クローン病の映画ライター「済東鉄腸(さいとうてっちょう)」さんの記事だった。(あとがきのあと. 日本経済新聞. 2023-04-01, 朝刊, p,34)

内容としては、希望の大学に落ち、就活にも失敗して引きこもり状態になった鉄腸さん。自己肯定感は低くなる中、日本未公開映画を見て、人と違うものを好む自分がカッコ良いと思い悦に入るように。そんな中出会ったのが、ルーニア映画。マイナー言語でもあるルーマニアの言語にハマったのも、人と違う自分がかっこいいから。
側から見ると、引きこもりというネガティブに捉えられてしまう状態だが、興味を持ってからは、辞書をひきながらfacebookで4000人のルーマニア人と繋がったり。驚異的な行動力とコミュ力を駆使して、ネット上で映画批評を書いていたら、最終的にはウェブ文芸誌編集者に気に入られ、エイプリルフールの日に現地文壇デビューへ。
そんな鉄腸さんは、20年夏に難病クローン病を発症。
…ざっくりとここまで読んだだけでも、引きこもりという一見ネガティブにも捉えられてしまいかねない状態なのに、自分の興味のあることに一途にのめり込んで、可能性を広げたこと。マイナー言語で、他の人が今までやってこなかったニッチなところに目をつけたところにも、センスあるよなあと思った。
クローン病を発症して、本来なら気落ちして辛い状況なのに、記事では、鉄腸という筆名を使いつつ腸の病気になった自分を笑い飛ばし、「絶望を軽やかに語って、軽やかに付き合ってやりますよ」と書いていた。
すごいな、マイナスをしっかりポジティブに変換している…。カッケェよ鉄腸さん。その生き方本当乙of乙です。

私がクローン病を発症したのは、ちょうど今と同じ4月だった。就活真っ只中で、面接が進みかけていた最中の入院だった。入院を告げられ、クローン病の可能性を告げられた時は、本当に絶望だった。進んでいた企業の面接を断って、会社説明会も全てキャンセルした。
狭窄の症状がひどく、ご飯が食べられなかったため絶食。栄養を補うため、中心静脈点滴をすることになった日は、痛みと、他の就活生たちが頑張っている中、足並みを揃えて就活ができないこと。思うように身体がいうことをきかない、地に落ちた体力、治らないかもしれない病気。将来への不安感と自分の情けなさ、惨めさに、幼児並みに泣きじゃくった。わんわん泣く私を見て、担当医や看護師さんたちを困らせてしまった。
入院が始まって1週間は何もする気力も体力もなかったため、好きだったスピッツを聴いたり、本を読むことすらままならなかった。日がな一日ぼんやり病院の窓の外を眺めて、ベッドに横になっていたよな。

そんなことを鉄腸さんの記事を読みながら、思い出していた。私もクローン病を発症してもうすぐ丸6年になる。
今は薬や食事制限おかげで、寛解を維持できている。食事制限があったり、お腹の調子が崩れやすかったりと不安なことは多いが、それでも普通に生活を送れていることは本当にありがたい。
最初にクローン病を診断してくれた、当時の担当医には感謝しかない。完全に余談だが、雰囲気が自分の好きなスピッツのボーカル草野マサムネさんに似ていた。当初は落ち込みが激しく何もやる気は起きなかった。だが、似ているなと意識するようになってからは、クソまずいと嫌厭していた栄養剤を飲めるように頑張ったし、就活を再開させようと履歴書を書いたり、準備を進めていけた。
鉄腸さんの足元にも及ばないが、病気発症中でも頑張れたのは、多少は「好き」の影響が大きかったのかもしれない。好きの力は偉大だと思った出来事だった。

発症から6年。色んなことがあったし、これからも出会うかもしれないけど、鉄腸さんのように、不幸を絶望を笑い飛ばせるくらい、好きの力で乗り越えたい。さよなら絶望〜。

関係ないけど、今日届いたロキノンスピッツ特集読んで歓喜。やっぱカッケェです、スピッツ。生涯の伴侶クローン病とともに、スピッツにも、一生ついていきまする。


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