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敬老の日がわからなくなってもお祝いするよ

※この記事は2023年9月22日に書いていた記事です。
下書きに残っていたのですが、忘れたくない気持ちだったので残しておきます。

敬老の日。
毎年、何かおばあちゃんの欲しそうなものを贈っているけれど、
去年は、和菓子屋さんでばあちゃんにお菓子を買った。

おばあちゃんに贈ったのは、
敬老の日のギフトシールが貼られた和菓子。

認知症のすすんだばあちゃんには、
たぶんもう、敬老の日の意味を明確にはわからない。

昨年までのばあちゃんには、伝わっていたような気がするけれど
今年のばあちゃんの反応は、

敬老の日?だれが?だった。

ふーん、そんな日があるんだ。くらいの興味のない反応だった。

それでも、お菓子を贈ったら
こんな美味しそうなものをありがとう。と、よろこんでくれた。
敬老の日云々ではなく、お菓子を贈ってもらったことそのものを
純粋によろこんでくれた。

これまでたくさん、敬老の日をお祝いしてきた。
たくさんよろこんでくれていた。
おばあちゃんはいつも全力で喜んでくれていた。
全身で、大きな手ぶりで「ありがとう」と伝えてくれた。

だから、ちょっぴり寂しかった。
去年までのばあちゃんには伝わってたものが
今年は伝わらない。

いつ、ばあちゃんはボケたんだろう。
どこかで止められたのかな。

いろんなことを考えてしまう。
よろこんではくれたけど、おばあちゃんは敬老の日の贈り物と知れば
もっともっとよろこんでくれる人だったから。
染み込んでない、気がする、喜びが。
届いていない、気がする、言葉が。
それが、こんなにも切ないものだと思わなかった。

ボケるって、ものを忘れていくことだけじゃないんだね。
反応もうすくなってゆくし、これまでのように
おはなしができなくなっていくことでもあったんだね。

それでもさ、おばあちゃんに敬老のお祝いができてよかった。
笑顔を見せてもらえてよかった!

これから先、おばあちゃんがもっといろいろなことがわからなくなっても
敬老の日がわからないからお祝いしなくてもいいや、なんて
絶対思いたくないな、とぼんやり思った。

敬老の日がわからなくっても、お祝いするからね。


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