赤ちゃんのお世話について。
今でもはっきりと覚えている、娘が赤ちゃんの頃。
そりゃぁもう凄い泣き声で。
夜もなかなか眠りにつかず、3時間、時には4時間泣き続けることもざらにありました。
抱っこで寝かしつけていたので、腕が腱鞘炎に。
ブロック注射打ちに行くほど抱っこ三昧。
背中にスイッチついてるでしょ!
なんでまた泣いてるの~(泣)
とにかく、抱っこ抱っこな赤ちゃんの頃でした。
4歳になる今でも「抱っこして!」は変わりませんが(そして重い)。
そんな「赤ちゃんのお世話」について思うこと。
オムツ替え、ミルク、寝かしつけ。
そんな毎日赤ちゃんのお世話こそが、子どもの確かな心の発達を育んでいく
と思っています。
以下、読み進めていただけると幸いです。
生まれてきた赤ちゃんはまだ多くの感情が芽生えておらず、大きなくくりで言えば
快、不快
ぐらいなもの。
そしてその快、不快についても
何がどうして快いのか、何故不快なのかを、感じることができずにいます。
⇒未分化な不快感
「腹減った」
「寒い」
「うんち」
「眠い」
それらを全て「泣く」のことでしか表せないわけですが…
親は、なぜ子どもが泣いているのかを
「あーでもない、こーでもない」
と試行錯誤しながら、泣き止ませていくわけです。
赤ちゃんは泣くことで不快を訴える。
親にあれこれ対応してもらうことで、不快を消すことができる。
それを日夜、繰り返し、繰り返し。
そうすると親は段々と、泣き声で見分けられる、なんてこともあるか、と思います。
そして赤ちゃんも何故不快なのかを少しずつ分かるようになり、身体感覚も確かなものになる。
一見ルーティンのようですが実は発達に関しては二重にも三重にも意味があり。
そして時間と共に赤ちゃんも(そして親も)成長していくわけで。
オムツを替える、ミルクを飲む、寝かしつけをする、そういった日々のお世話こそが
親子の確かな関係性
(要求を叶えてもらえる、安心感、信頼感)
を育み、
自分自身の感覚への気づき(認識の発達)を深めていくことにもなる。
のだと思います。
すなわち、赤ちゃんの頃のお世話は、身体的な発達だけでなく、確かな精神発達の土台を作る。
親との関係性の育みが基盤となって、他者との関係築いていくことになる(社会性の発達)。
そう考えると、赤ちゃんのお世話それ自体、色んなエッセンスが込められているものなのだな、と思わされます。
そこで十分に芽生えた能動性、安心感が、その後の好奇心、探索活動、未知の世界への歩みを支えるものにもなるので。
ただそうは言いつつも、とにかく大変な乳児期。
(今でも思い出すと、ゾッとします(^_^;))
時に楽をしつつ、息抜きの時間を意識的に確保しつつ。
できるものなら夫婦、祖父母、協力体制を整えつつ、乗り越えていくことができると良いですよね。
疲れも溜まり、余裕もなくなると、ルーティンもただしんどいだけのものになってしまうので…
パートナーを支える、赤ちゃんの成長を育む。
その意味でも父親の役割は大きいと思っています。
ここまで読み進めていただいた方、ありがとうございました。