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私の富嶽三十六景【#2 芦ノ湖】

こんにちは。

この富嶽三十六景シリーズは、「富士山に会いに行った時の私の感じたままを書く」つもりで始めたものです。登山やアクティビティ、観光に関する具体的な情報を展開しているシリーズではありませんので、「自然が個人に与える感情や体験」を、少し覗いてみようか、という方、ぜひ読んでいただけたら幸いです。

深夜に初回noteをアップしましたが(▼下記リンク参照)、富士山についてもう一つ書いておきたく。

新年、芦ノ湖へ、つまり箱根へ行ってきました。

ちなみに、私はニアミスですが、この連休の金曜から、現地では何やら「箱根補完計画」が始まっているようですね・・・(これはこれで気になる・・・)。

・・・こうやって少し脱線しながら、2回目の「富士山の感想」を書かせていただこうと思います。最後にはしっかり富士山の話で締めくくります。

*

小田原駅下車にて。私の2回目「富士山を見るための小旅行」が始まりました。

その日は一日晴れることが分かっていたので、期待感も気分も上がりめで。道路が劇的に渋滞し始める前に、箱根登山電車(箱根湯本駅まで)と箱根登山バスを使い、朝早めに箱根の山へと向かいました。ちなみに、箱根に行くのも私はこれが初めてです。箱根駅伝は大好きだし、自転車に乗るようになって、サークルの皆さんがとにかくよく自走で行っており、写真も沢山拝見してましたし、また自然な流れとして某・自転車アニメの影響もありますし(笑)、私にとって、富士山はもとより、箱根自体も憧れの「聖地」でした。同意見の人は、きっと山ほどいらっしゃるでしょう。

バスでの山登り、実際、混雑前に動けたのは幸運だったと思います。到着したすぐ後には、それはもう大渋滞が始まっていたので・・・新年の箱根、早く動くべし

せっかくなのでもう一つ脱線しておくと、私は今年の箱根駅伝の開催直後の訪問となりました。

箱根登山バスにて進む九十九折の道は、ご存知、往路「山の5区」、そして復路の山下り6区と同じコース。ほんの2、3日前、この道の上で、あの最高に熱く、唯一無二のレースが繰り広げられていたと思うと・・・こみ上げてくるものが・・・(アツい世界に弱いんです)。けれど実際現場を目の当たりにし、学生選手たち、本当にスゴい。大学スポーツってすごい。尊敬の念がよりグッと、確実に強くなりました。斜度も厳しく、曲がりに曲がって次々と展開していく難しい道のり。この山の上りを圧倒的な走りで制したものは、「山の神」ーーー天下の剣、なのだ、ここは。まさに「そう呼ばれるにふさわしい世界」であり、何か人生の教訓めいたものが存在する場所なんだと、身をもって知れて、それだけでも本当に来て良かった。

道を、山を、自分の力で進んでいく、って、本当に素晴らしいですね。

この日、選手たちと同じように自らの脚で上っていくランナーの方々の姿も結構見られました。新年早々、選手同様にこの方達も素晴らしいですね・・・。私も以前ジョギングを続けていましたが、引越しを機に離れてしまい。この山を駆け上がっていくランナーの方々の走りを見ていると、「走るってやっぱり良いな、また始めたいな」という感情が芽生えました。それから、ロードバイクを漕ぐ方々もまた然り(・・・自転車で本当に走ってるよ・・・漫画やアニメだけの話ではなく、登る人は現実世界でも登ってるんだ・・・私が特訓したとして、ここを登っていける日は来るのか?)。

箱根駅伝、選手たちのこと、それぞれのチームのこと、コースのこと、また自転車のことももっと書いてみたいけど、それは私のスキルが向上したら、いつか、じっくり書いてみたいものの一つです・・・。

ちなみに!芦ノ湖岸、バス停「箱根町港」の側には、「往路ゴール・復路スタート」地点があるわけですが・・・・・・ああ、やっぱりこの記事内で書ききれないので、別記事で思いの丈を書きたいと思います!(「箱根駅伝ミュージアム」も、とっても楽しいよ!)

(後ろの方に、雪の冠を被った富士山が居ます。これにも感動した。この眺めは来たからこそ知れましたが、この景色に向かってゴールだったなんて、往路ゴールは、格別に気持ち良いのでしょうね・・・選手本人はそれどころでは、ないですかね。。汗)

*

さて、本題の富士山です。🗻

箱根自体のネタ量がもの凄いので、富士山の話がボヤけそうになるという・・・。

午前のうちに箱根神社に参拝しておきたかったので、まず「元箱根港」バス停で下車します。箱根神社も期待以上に素敵でした。混雑の中でも来る価値はあるし、背の高い木々に囲まれて、神聖な雰囲気がありました。ご利益ありそうです。写真など詳細は、今回は省きます。

小田原からアクセスした場合の芦ノ湖の玄関口が、この元箱根港のようですが、ここで降り立ってすぐには、富士山は見えないのですね。

・・・なんだか右側奥に隠れていそうな雰囲気。

そうか、まだなのね、と思いながら、時計回りに歩いて行きます。国道1号線の標識にもまた、いちいちロマンを感じながら・・・。

そして、すぐです。

10分と歩かないうちに、この景色が現れました。



・・・わ・・あっ・・・!!・・・!

嬉しかった・・・。

最高だった。

新年に、雪化粧の富士山が、こんな雲ひとつない青空のもと、このベストな景観として拝めたのだから・・・。この配色、神様からのギフトとしか思えない。

特に私個人としては、前回の山中湖に続き2回目ですが、前は冒頭に再掲した記事内のとおりで、山頂はお預けになりましたから・・・!

山頂の姿を見てもやはり、視界が捉えた瞬間、ハッ、と目を引く、別格の存在感

遠景で、しかも雪色なので余計に、現実ではない景色を見ているような感覚に陥りました。今回も。何でこんなに美しい稜線なのでしょう。しばらく、うっとりとただ眺めてしまうのも、神社で参拝したばかりなのに、この山に向かってまた願い事をしてしまうのも、必然。そして私だけでなく、周囲の人々もみな足を止めて見入っているのが、とても嬉しくなりますね。

2回目の富士山と出会って感じたこと。それは初回の時とは違う感情で、違う体験でした。前回の山中湖では、私はこんなことを思っていました。

「何か、心を燃やすものが、欲しいなあ・・・・・」(冒頭リンク先noteより)

今気づきましたが、日にち的に、山中湖から今回の芦ノ湖は、ちょうど3か月のタイミングでした。3か月後の今、再度富士山に会って思ったことは、

「こんな景色を求め続けて、生きていきたいな・・・」

「この眺望のように、人の心をふるわし、爽快な風を贈ることで、幸福感を与えられるような存在になりたいな・・・」

という、決意とまでかは分からないが、それに近いものでした。不思議です、同じ山なのに。でも「私」はどんどん変わってゆく。「時間の経過による変化」って、短期間でもちゃんとあるのですね。3か月前は見えなくなっていた自分の今後について、今、だいぶん見えるようになったようです。自分だけの「生き方」「心の指針」のようなものが。

「何か心を燃やすものが、欲しい・・・」

そう全身に感じたあの日、その後の私は、自転車を始め、それを通じて新たな人との交流も始まり、自走で道をゆくこと、自然のある場所へ飛び込んでいくことが本当に好きである自分を、改めて認識できたし、こうやってずっと挑戦したくても筆を取れなかった文章の世界にも漕ぎ出すことができている。そしてこれらは、良い変化であり、成長と思えている。

山中湖での体験をきっかけに、私にはあるセオリーが確立されていて、それは

「富士山を目の前にした時に湧き上がってくる感情は、真実のはずである」

というものです。これは誰が何と言おうと、私の中では揺るがないと思います。

その瞬間の感情に、嘘や余計なものはない。

だから、これからも定期的に富士山に会いに行きます。そして、自分だけの心の指針を確かめる。

富士山のおかげです。ありがとう。

そしてもちろん、眺めるだけでも心から大好きですが、富士山登頂も実現したい。


しかしこの贅沢な景色を見ながら、贅沢なことが浮かんだのですが、

「私、結局まだ富士山の全貌は拝めていないんだな」

1回目が山頂見えず、2回目が山頂のみ見えたとあれば、そりゃこういうことをしたくなりますよね・・・。

・・・w。

上が今回の芦ノ湖、下が前回の山中湖の富士山です。こうやってみると、ちょっと中腹あたりが足りてなかったか・・・。

お遊びは置いておいて、ともあれ今の私の富士山は、こういう組み合わせた状態なのです。その意味では遠回りしているわけですが、全然構わない、むしろありがたい遠回りだと思いますし。だって毎回出会うのが山のどの部分であれ、いろんな感情を体験させてくれるのだから。それぞれの時に駆け巡った思いは、それぞれ、忘れません。全身を拝見させていただくのは、次回以降、ですね。🗻

今度はどこから、どの富士山の側面に会いに行こうか。ワクワクがたまりません。

*

以上、今回は結構長文になりましたが、最高の2020の幕開けを迎えることができました。と、エネルギッシュでポジティブな姿勢ばかり表現しましたが、悩むことは日々、次々と現れるし、心が疲れることなんて、もう日常の一部・・・()。

けれどそうやって苦しくても、富士山はじめ、山や自然、未知の世界へ訪れること、歩いて、走って、自転車で道をゆくこと、体験をこうやって共有していくことは、ずっと続けていきたいです。絶対に続けていられる自分でいたい。

ここまで読んでいただき感謝です。

また次回に。

sao

ありがとうございます!幸せな表現ができるよう精進します*.。*