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父親がくれた人生の「きっかけ」

30回連続出場。

2022年11月23日、3年ぶりに故郷福知山にて「第30回福知山マラソン」が開催されました。

福知山のスポーツ環境に関わる立場として、今年より福知山ユナイテッドもボランティアとして参加を行い、第一給水所のサポートをすることになりました。

この大会、各所で聞いておられることが多いであろうと我が「星一徹親父
」こと父が、30回連続出場という素晴らしい記録を打ち立てました。

大人になり、一度だけマラソンを走ったことがある立場からすると、65歳になった今もまだ走り続けていることでさえ尊敬ですが、この大会を30回走り続けることにかなりのモチベーションを持っていた姿に、やっぱり血の繋がりはあるもんだなーと思い立ち、このnoteを書き始めています。

全ては親父から

僕が今、この事業を始めたのは紛れもなく僕がスポーツで育ったから。
そして、このきっかけをくれたのは「全て」父親の影響だった。

一番最初に出会ったのが「空手」。
父親も学生時代日本拳法をやっていたようで、のちに聞くことになるのだが、将来は格闘技をやってほしかったようだ。

小学校6年生大会で優勝したとき。この時ばかりは親父が褒めてくれた気がする。

最初はいわゆる「当てない」流派の空手を始めたのだが、物足りなくなった片野少年は、小学生に入りゴリゴリに殴り合い蹴り合う「極真空手」に入門。早熟体型でデカかったことも功を奏して、小学校6年生では京都大会の決勝まで登り詰める。が、決勝の相手は招待選手で来ていた大阪にある道場の師範の息子。黒帯。当時の片野少年は緑帯4級。

誰もが劣勢になることを想像していただろう。
結果は、飛び前蹴りが相手顔面の顎に強打し、会場騒然の一発KOで一本勝ち。あの光景は今でも忘れない。


次に始めたのが「サッカー」。
これは、小学校1年生の時に父親の友人がサッカー少年団のコーチをしていたという理由だけで始めることになる。父親が経験してない競技でもあった。

練習初日、極度の人見知り(本当です)だった片野少年は、車の中から出るのも嫌だったが、剛腕の親父に引っ張り出されていったことを覚えている。


いわゆる五厘時代。この時が一番身体能力おばけでした。

その後、小学校4年生でチームを変えてから、一気にサッカー中心の生活となるが、ここで出会ったのが地元ライバル・伊藤。ナショナルトレセンにも選ばれていた逸材と戦えた日々は、田舎の大将だった片野少年に火をつけてくれた。おかげで中学校よりトレセンに入り、全国の選抜大会でベストイレブンにも選出いただき、高校もサッカーで入ることができ、大学まで体育会の第一線でサッカーと共に素晴らしい人生を過ごすことが出来た。
(サッカー人生については、ここでは書ききれないことがたくさんあるので、またどこかで。)

最後に出会ったのが「陸上」。
紛れもなく、これは父親の影響。
ただ、父もマラソンをはじめたのが30代からだったようで、そこから「鉄人レース」と呼ばれるトライアスロンを何度も完走していた鉄人から教わる陸上のトレーニングはまさに地獄だった。

小学校のマラソン大会で2位すら許されない。
サッカーの試合に負ければ、小学生でも関係なく8kmの罰ラン。
心肺を測る機材を早々に導入し、満足した回復具合でなければ激怒などなど、思い返したらキリがないくらい陸上では怒られた記憶がある。


引率の指導者ばりにデカイ片野少年。当時小学校6年生。

ただ、負けず嫌いだけは取り柄だった片野少年はこのプレッシャーにも負けず、結果的には地元駅伝大会では区間新記録に、チームレコードも大会新記録。S&Bマラソン大会でも優勝、800mも大会新記録、1500mも大会新記録とぶっちぎりの結果を残すことが出来た。(ちなみに、まだそれぞれの記録は20年経った今でも破られていないようだ。)

3つの競技が生み出した相乗効果

こうして「複合スポーツ」で育った片野少年の強みは、まさに「相乗効果」が生み出した経験にあった。

空手で培った「柔軟性」「体幹の強さ」「精神力」「キック力」。
陸上で培った「無限のスタミナ」「自分との戦いへのメンタル」。
そしてサッカーで培った「一人では勝てない集団で戦う力」。

特に、最後まで続けたサッカーでは、この「無限のスタミナ」と「体幹の強さ」は紛れもなく自分の武器で、試合中にバテることなどほとんどなく、長友選手が出て来る前から超攻撃的サイドバックとしてサッカー人生を楽しむことが出来た。ゴリゴリしたプレースタイルからついた「ダンプ」や「ヴィエリ」「テベス」の愛称はとても気に入っている。笑

とあるメディアでも、本田圭佑さんや為末大さんをはじめ、たくさんのアスリートも伝えている「複合スポーツ」の強みを、親父は自ら体現し、経験させてくれていた。

そして、「見る」スポーツとしても複数の競技を経験していたことで、オリンピックもたくさんの競技を楽しめるし、世界陸上も箱根駅伝もK-1も楽しめるし、社会人になってアイスブレイクでたくさんの方々とスポーツで繋がれた。間違いなく、スポーツが人生を豊かにしてくれたきっかけとなった。

部活の概念を、ここから変える。

これから始まる部活動改革において、福知山ユナイテッドが体現していきたいことの1つがこの「複合型スポーツ」の価値観を伝えていくこと。

今の部活動の枠組みでは、その実現は難しい。
そして、その世界の中でこの何十年も先生や生徒が生きてきた。

確かにハードルは高いのかもしれないが、こんな100年に一度のルール改定だからこそ、指導者や親から、この世界観を変えていくチャンスだと思っている。

そして、福知山ユナイテッドにはその競技で結果を出している指導者が、この考えに賛同して集まってきてくれている。

こんな環境の中、育っていく子供たちの未来に触れることが楽しみで仕方ないし、環境は「大人が創る」ものである。

親父がくれたたくさんの「きっかけ」を、今度は組織としてたくさんの子供たちに届けることが僕の使命である。

親父よ、これからも我が道を進んでほしい。
俺も、負けじとついていくよ。

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