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ちょっぴりシズる『地獄の黙示録』

繰り返し観る映画がいくつかあって、『地獄の黙示録』もそのひとつです。
この映画には、微妙な完成度の映画を見てしまったあと、いまひとつ価値観の合わないパーティに参加しなければならなかったあと、なんでも良いのですが、いまひとつな体験を脳の正規な記憶に定着させず、夢と誤認させて掃き出す効果があります。

マイナスの体験直後に繊細なもの体験してしまうと記憶の中でペアリングされてしまう危険があるのでタルコフスキー作品など絶対にその用途には向かないのですが、『地獄の黙示録』にはその心配がありません。この映画の強烈なエネルギーがそうさせないと言いたいところですがそうではありません。最初からシュールなペアリングをされてしまっているのでいまさらいくら上書きしたところで大丈夫という理由と、ゴーギャンかと思ったらアンリ・ルソーだった的な本質的な部分のふてぶてしさがあるためというのが本当のところです。

この映画をはじめて観たのは小学生の時、公開初日(当時の居住地では)でしたのでいうなれば『地獄の黙示録』ネイティブです。父親と一緒だったのですが、初日最終回に観客はひとりもおらず、スクリーンの中では明滅するコンソールのアップ、赤やオレンジ色の抽象的な風景にオーバーラップされる登場人物たちの謎の会話劇、走る兵士、ナパーム、真夜中に現れるスキニーで巨大なカエル、父親の頭上にこんなにもはっきりと[?]マークが見えたのはこのときが初めてです。私の頭の上にもきっとあったのだと思います。ベトナムの描写なのかとも思いましたが、小学生の私にも多分これは『地獄の黙示録』ではないなと確信できたので、もしかして併映作品なのか、併映はなかったはずだけど、などと結論が出ないまま数分シートに座っていました。

人間の脳は想定の範囲外の状況になると、範囲を広げる前にちょっと深い場所へ参照に行くので、『ゴッドファーザー』の監督の画作りとずいぶん違うとか、本物の死体を使ったのではないか、トラブル続きでやっと完成したとか、たんまり仕込んであった事前情報とのあまりの違いにばかり思考は振れていきました。さすがにこれはフィルム自体別物だろうと思い、一度映写室を出て、掃除をしていた係員の女性に今の映画はなにか父親が聞いたところ、その日は前の映画の最終日で『地獄の黙示録』は翌日公開だが最終日、最終回の中盤で観客もいなかったのでポスターやら何やら早めに入れ替えてしまっていたというのが真相でした。当時の独立系映画館はおおらかでした。

1日先走った親子に快く返金してくれ、翌日改めて足を運び、そんな経緯で観た本編は前日の体験とペアリングされて捻れたインパクトを残してくれました。

その後も現在まで定期的に観るこの作品は観るたびに印象に残るポイントも全体の印象も都度変化しました。ジョセフ・コンラッドの「闇の奥』を読んだあと、『ハート・オブ・ダークネス』を観たあと、『羊をめぐる冒険』を読んだあと、様々なバージョンを観たあと、いつしか普遍的でシンプルなアートとして自分の中に音楽や詩のような収まり方をしようとしつつもそうはならず、脳のその領域からは追い出されていったのです。
そして、かなりのな回数を観るうちにどんどん前半の印象が強くなり、実は良い意味で、大した映画ではない。という位置に収まりました。そして、ようやくかつて1日間違って『地獄の黙示録』のつもりで観た数分間の実相寺版ウルトラマンとスタンスが驚くほど似ていることにも気がつきました。
言いたいことがあるのではなく、見せたいものががあるわけでなく、撮りたいものだけがある人の撮った映画だ。

最終的にこの映画の印象として定着したのは作戦へ出発する前の食事のシーンでした。半ば強引に引き立てられた(体の)ウィラード大尉(マーティン・シーン)に食事をしながら作戦概要を説明する場面です。このシーンからは価値観の落差や根本的に維持しようとしている現状の差異、矛盾など様々な暗喩が見て取れない事もないのですが、単なるめんどくさいストーリーやらコンセプト的なものを全部セリフや詩の引用で大急ぎで説明する為の舞台装置で、映画としての最低必要なノルマであり、どうしても必要な3分間の戦闘みたいなものです。

このシーンの食事の重要性は、目を閉じてテーブルに食事が乗っていないことを想像すると、よくわかります。
絶品といわれるローストビーフと食べるのに勇気が必要という有頭海老の素揚げのような料理、美味しそうなのになぜ勇気が必要なのかピンと来なかってけれど当時の欧米人は生き物の形がはっきり残った生き物を食すのに抵抗があったみたいなのでそのせいなのか、水質のせいなのかそこはよくわかりませんが。

この映画の照れ隠しのようにまぶされた叙事詩的、哲学的な装いを掃き出してあげるとあらわれる肯定的な意味での薄さと主張の無さ、それがとても心地よいのです。

Eating Now!

セラーノ

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