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①搬送されるまでの症状

では搬送されるまで時系列で辿ります。なっがくなりそうなのでご注意を

何か似てる症状あるなぁという方は即病院へ。

2012年6月 仕事がとてつもなく忙しい時期。毎日24時ぐらいまで働き出張を週3ぐらいでこなし、ご飯を食べる時間もなくそりゃもう昭和のサラリーマン並みに働いておりました。ある仕事でダイエットに酢を毎日15CC摂取・ごぼう茶がいいと聞いてせっせと飲み始めた時期でもありました。そのころ体重は49キロ

2012年7月 気温も高くなり喉も乾く時期ではありますが、プレゼン後すぐにペットボトルの水を500一気飲みに近い速度で飲んでいた。まぁ暑いし喋り倒したし。でも珍しいなぁと思い始めた頃。

2012年8月 食べても食べてもお腹がすく。でも体重は全く増えず逆に減少でこのころ45キロ。喉も乾くし声もしゃがれてきた。きっと連日の激務で干からびてるんだ。これを乗り越えたら10月には広島旅行や!!!と気づかぬふり。

2012年9月 あれ?めちゃくちゃしんどい・・時計がぶっかぶか。指輪が抜ける。目がかすむ。異常に喉が渇く、あれスーツがベルトしてもズレる・・・ なんか変・・・ このころ体重は42キロ

2012年10月6日 わーい広島旅行!めちゃくちゃ身体はだるいけど、夏バテの名残。広島で牡蠣たべまくるー!!!っていうか飲み物ないと生きていけない!!!!暑くもないのに喉がかわく!!でも牡蠣おいしいーーー!!あれ?生理がこない。。。この頃40キロ

2012年10月9日朝 水を飲んでも吐く、熱は38度。お腹もこわす。あぁ牡蠣にあたったんだ。今日は会社を休んで明日病院に行こう。

2012年10月9日夜 吐くのが止まらない・・・食中毒ごときで救急車呼ぶなんて申し訳ないからとりあえず近所の消防署に電話して夜間救急の病院を探す事に。※本来は7119に電話すべきだそうです。            5件紹介してもらい息も絶え絶え電話するも全て受入れ不可。もう1回消防署に電話したらすぐに救急車呼んでください!と言われ119番。ここで自分の状態にかなり危機感を持ち、財布・携帯を鞄に入れて玄関の扉に靴を挟み、オートロックボタン前で消防署に教えてもらった病院の番号を書いた紙を握りしめオートロック解除・・・

ここからもう記憶はありません。

2012年10月10日 ここはどこ!?ってプチパニック。ナースステーションにほど近いベッドで朝8時に目が覚める。腕には点滴、手首には紙のバーコードみたいなものが巻きけられて何が起こっているのかよくわからない状態でした。

看護士さんに救急搬送された事を教えてもらい、家族や会社に連絡を入れるよう指示をもらう。

起き上がる気力もなくとりあえず「救急搬送されて入院してます。詳細はわからないのでまた連絡します」とメールを入れる。

そのあと女医さんが来て説明を受ける。血糖値が700近くありケトアシドーシスで搬送されました。あと数時間遅ければ最悪の事態でしたね。もっと細かい検査をしますので病名は明後日説明します。ご家族はいつ来られますか?と・・ っていうかここは何ていう病院ですか?からのスタート。命を助けて頂いたけどこの女医さんが2型専門の先生でとてもクールで・・・・・・

私はその当時も東京で1人暮らしをしていたので、家族は大阪。

親戚は関東にいるけどそんなに顔を合わせる事もないのでどうしよ・・・と思って携帯を見ると、見たこともない数の着信履歴。

起き上がれないのでベッドの上から電話をして両親が昼の15時には病院に到着。おおよその出来事を説明し、また眠りについてしまった私の変わりに両親は慣れない土地で手分けして入院グッズの買いそろえと私の自宅に行きパソコンや着替えの準備。

会社関係はもうそれは大ごとで、引継ぎもなく同時進行ではしっていた案件10件をみんな手探りで対応してもらい、クライアントもてんやわんや・・入院した事を知らないクライアントからは電話が鳴り続け、もうそれはそれは騒がしい入院初日を迎える事になりました。

夕飯を出してもらったけど、食べては吐きを繰り返す。その姿とやせ細った体を見て両親は泣きながら何も言わずに傍にいてくれたことを今でも鮮明に覚えていて感謝でしかない。。

看護士さんに採血してもらって伝えられてる数値の意味がわからない、食事は食べては吐きの繰り返し。このあと約2週間の入院生活へ突入です。


次は②1型糖尿病と診断されてからの入院生活(食事)についてです!




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