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嫌われる勇気の是非

おはようございます、大学生のsizqと申します。
初投稿なのでお手柔らかに。
今回はなにかと耳にする「嫌われる勇気」という言葉についてです。 

1.きっかけ(これは読み飛ばしてもいい)

考えるきっかけとなったのは友達との会話からでした。この言葉が想像以上の効力を持っていて、ロジックの土台にされるケースがよくあります。私が「嫌われる勇気」を言われた際、「情けは人の為ならず」という古き良き格言でカウンターしました。そのとき「今はそれじゃない」と言われました。そう!つまりこのような言葉は適材適所なのです!根拠にはなりません。しっかり先ほど言った本質を見抜き、目的を設定した上で考えると思考がクリアになります。
※「このような」というのは人間関係などの話のことです。数学のような答えが一つしかない時は適材適所ではなくどこでも適所です。

2.本質とは

「嫌われる勇気」の本質を見誤ってる人が多いです。リスクリターンの問題で、この言葉はリスクに重点を置いていて、つまりローリスクノーリターンのケースも含まれます。例としては出会って数日でまだ友達程度なのに告白することなど。目的や価値観によっても変わってきますが、これは「嫌われる勇気」の射程範囲外です。リターンともしっかり付き合っていきましょう。
※ちなみにここでノーリターンと言っているのに対し、「いやあるでしょ、ノーではないでしょ」と意見を貰います。これは言葉に有効数字のようなアバウトな表記や誇張表現を混ぜているので、確かに数%ほどあるかもしれませんが、それはノーに含まれてます。

3.流行りの理由

そもそもこの言葉が台頭してきた理由の一つに言葉のインパクトがあります。初めて聞いた時、私は「は?……、、んーーーは?」ってなりました。嫌われていいことないですし。そうして気になりだして調べて納得はしましたが、言葉のイメージ性や誇張表現や言い得て妙感、そして本質を見抜いていない人の割合など集客性に趣を置いてて気に食わないです。この表現は好きですが、会話で使うタイミングはないかなと。
しかしパッションで会話する輩には使うべきできす。私はロジックで固めていくのが好きなので、論理的に話したいです。しかし情熱野郎ど畜生にはこのような言葉をじゃんじゃん使うことで言葉のおしゃれさで対抗できます。パッションモンスターには私は韻を踏んで話したりしてます。
ちなみにロジックで戦っていくのは口論では勝ててもその後の展開が悪くなります。そこは目的をしっかり定めておくことが重要です。

4.精神論

心の内に秘めとくものとしては重要です。嫌われていない人なんていないからです。これはある学説で全ての人に当てはまるもので「好き:嫌い:無関心=2:2:6」となります。全ての人は2割から好かれ2割から嫌われその他は無関心となる。ここで着目すべきは嫌いの部分。見てわかる通り0ではないんですよね。すなわち嫌われるのは仕方ないです。それを受け止めると言った精神を保つ意味で「嫌われる勇気」は大事です。

5.これを通して

言葉から自分自身を使っていくのではなく、自分の価値観を軸として考えそこに格言、今回でいう「嫌われる勇気」などを聞きそれに流されることなくしっかり噛み砕いて何を言いたいのか、その核をしっかり捉える。そして自身の価値観と照らし合わせることが自分自身を昇華する道標となる。

読んで頂き有難う御座いました。
最後に好きな言葉をつけておきます。

生きているものとは戦っているもののことだろ?

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