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第25節:曲ったものこそ完全になる

*この物語は、大学3年生の「僕」と「僕の中にいる老子さん」との間で繰り広げられる脳内会話のフィクションです。

主人公の僕は「僕の中の老子さん」の指令を受けて旅に出ることになり、船に乗って小笠原諸島の父島に向かいます。

その船の中で、偶然、老子に精通しているミサキさんという女性と出会います。

今回の内容は、前回の「道に従うことで、善く始まり、 善く成長する」の続きになります。



おがさわら丸のレストランで、ミサキさんはナポリタンを僕はカツカレーを注文し、ミサキさんの提案で瓶ビールとフライドポテトをシェアすることにした。

ミサキさんの旅の目的は、ザトウクジラの親子を見ること。この季節は、子育てのためにザトウクジラが小笠原の海に来るという。ミサキさんは一か月ほど父島に滞在する予定で、今回のダイビングでは、新しく買ったカメラでザトウクジラの親子の写真を撮りたいと考えているそうだ。

そんなミサキさんの旅の予定をビールを飲みながら聞いた。

父島に行くのは、今回で5回目とのこと。

「どうやら、わたしは考えることよりも身体を動かしている方がいいみたい。老子もいっているでしょう。身体と精神を調和させなさいって。それがわたしにとっての自然ね。身体を動かしていた方が楽なのよ。だから、机にじっと座って勉強することが、ずっと苦手だったの。でも今は身体を動かすことが仕事のようなものだから、楽しく過ごせているわね。そういった意味では、旅をして見たことや感じたことを写真を撮ったり記事にまとめたりすることは天職といってもいいかもしれないわね。旅をして、そこでの経験を記事にまとめて提出して一区切り。それから次はどこに行こう?  って考えて旅に出る。素敵な生き方でしょう」

そういうと、ミサキさんはニヤリと笑った。ミサキさんの旅の話は面白かった。

それに、これから行く小笠原の海の話を聞いていると、僕もダイビングにも挑戦してみたくなった。初心者の体験コースもあるらしい。

旅先でないと挑戦できないことがたくさんある。僕はミサキさんが懇意にしているダイビングショップを紹介してもらうことにした。

食事を終えて残っていたビールを飲み終えたところで、「これから特にすることもないわけだから飲みましょう」といって、ミサキさんはワインをボトルで頼んだ。

どうやらミサキさんはお酒が強いようだ。

それに、偶然とはいえ道徳経の話ができるのも嬉しかったみたいだ。

「ところで、君はどうして道徳経を読んでいるの? 老子っていう年齢でもなさそうだけど?」

そう聞かれて、僕は今、大学の春休みで、ゆくゆく老子をテーマに卒論を書く予定だということを説明した。僕の頭の中にときどき出てきて会話をしている老子さんのことについては話さなかった。

「老子道徳経って、本としてはそんなに分量があるわけじゃないですよね。でも、老子について解説されている本はたくさんあるから、卒論のテーマにすれば楽かなって思って。それで読み始めたんですけど、でも、予想していた以上に奥深いというか理解するのが大変というか。でも、理解できると不思議と腑に落ちるんですよね。それに言い回しが逆説的なところがクイズのようで、なんか面白いんですよね。『柔らかく弱いものが強いものに勝つ』とか『有は無から生じる』とか」

こんな僕の話をミサキさんは頷いてくれる。話が嚙み合っている感じが心地よかった。

「そうね、なんか不思議と好奇心が刺激されるわね。最初は、何をいっているんだろうこの人って思うけど、理解できると妙に納得させられるし。そうね、たとえば『曲全』。『曲全』知っている?」

もちろん、と僕が答えると、ミサキさんは『曲全』の一節を口ずさんだ。

「わたしは小さい頃から、ずっと痛い、痛いって思って生きてたの。だって、私は思い切り飛び回って体を動かして生きていたいと思っていたのよ。でも、両親はそうじゃないの。女の子なんだからおしとやかでいなさい、上品に振る舞いなさいって育てられたから、心が痛い、痛いって思って生きてた。それって曲った木を無理やり真っ直ぐにするようなものなの。曲った木を真っ直ぐにしようとしたら折れてしまうでしょ。だからわたしは自分が折れる前に逃げ出すことにしたの。もう無理って思って。親から見れば、わたしが今していることが曲って見えるかもしれないけど、身体を動かしながら、いろんな世界を見て回って生きている方が、わたしにとっては真っ直ぐなことなの。痛みを感じることがないし自然なことなのね」

「まさに無為自然」

「そうそう無為自然」

無為自然とは、人の手を加えないで何もせずあるがままにまかせることを意味するものであり、作為を持たず自然本来が持つ力に従うことをいう。

ミサキさんにとっての無為自然とは、どうやら好奇心に従って旅をして生きることのようだ。

「人はね、本来生まれ持った能力を活かすだけで上手くいくものなの」とミサキさんはいう。

ワインのせいか、頬が赤みを帯びていていて少し早口になっている。ミサキさんは話を続けた。

「だって人間くらいでしょう。この地球上で無為自然に逆らって生きているのは。クジラはね、生まれてから死ぬまでずっと自然そのものだし、自然とひとつになって生きている。もちろんクジラだけじゃない。自然のものはすべて自然に従っていきている、それが自然。人間だけよ、この世界で自然じゃないのは。今の人間の発想は、人間さえも規格品なの。曲っているものを、みんなで一丸となって真っ直ぐにしようとするでしょう。だからみんな痛い、痛いっていいながら生きている。でも本当は、そのままでいいの。曲ったもの同士が集まってパズルのピースを埋めていくように暮らしていけばいいのよ。よく考えてみて、ジグソーパズルって、ひっくり返してもすぐにバラバラにならないでしょう。でも直線だけのパズルだと、ひっくり返しただけですぐにバラバラになっちゃう。それと同じで、曲ったものが上手く組み合わさったほうが強いのよ」

「ものごとはなんでも、曲っていれば、真っ直ぐになるし、歪んでいれば正しくなる」

僕は『曲全』の冒頭部分を口づさんだ。

「そう。曲全‼ 曲ったものこそが完全となり、本源的なあるべき姿に復帰する」

そういって、僕とミサキさんは乾杯してグラスを開けた。

すると、ミサキさんはこうつぶやく。

道徳経の十九章だ。

「わたしは、わたしが生まれ持った本来の欲に従って生きてるだけよ」

ミサキさんは、そういうとにっこりと微笑んだ。

気が付くとボトルのワインがもうなくなっていた。

僕はミサキさんに尋ねた。

「ミサキさんの本当の欲ってなんですか?」

するとミサキさんはこう答えた。

「どんなときでも幸せでいることよ」と。

ミサキさんのこの言葉が、不思議と僕の心に響いた。

それから僕らは風に当たるためにデッキに出た。

黄金色に輝く満月の光が海面で輝き綺麗だった。

海風に当たりながら「どんなときでも幸せでいること」って可能なのだろうかと考えた。


*文中の行書体で書かれている文章は老子さんの超訳本である「老子 あるがままに生きる」(ディスカヴァー・トゥエンティワン)から引用させて貰っています


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