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第73回:「喜び」の種子を見つけて夢中になって生きる

今回は、「喜びの種子」を見つけて夢中になって生きる、ということを書いていきます。

自分の中にある「喜びの種子」を見つけることができると、人生が「ネガティブ」から「ポジティブ」へと変えることができ、好きなことをしながら夢中になって生きていけるようになっていきます。

生きている中で、自分の中の「喜びの種子」を見つけられないでいると、何をしていていいかわからずに、人生がぼんやりとしたものになってしまいます。

しかし、自分にの中に眠っている「喜びの種子」を見つけて生きられるようになると、その種子を育て大きくして樹にしていくことが人生の「喜び」となっていくものです。

なぜ、こういったことを思いついたかというと、昨晩、【自分と向き合うと「愛」に出会う】という記事を書いていて、YOASOBIの「群青」という歌詞を紹介させて貰ったからです。

そこで、今回も「群青」の歌詞を使いながら、自分の中にある「喜びの種子」を見つけることができると、人生が「喜び」に変わっていくということを書いていきます。

自分の中にある「喜び」の種子を見つけて生きる

この図は、自分の中に眠っている「喜びの種子」を探す前の状態であり、人生の中で「退屈」さを感じている状態です。

図の中の佇む人は「群青」の歌詞の主人公の「僕」で、大きな球体は佇む「僕」の心を表していています。

「群青」の「僕」は日々の生活に退屈さを感じていて、心を輝かせることができずに、どうしたらいいかと考え始めています。

「群青」の歌詞でいうとこちらの部分になります。

嗚呼、いつもの様に
過ぎる日々にあくびが出る
さんざめく夜、越え、今日も
渋谷の街に朝が降る
どこか虚しいような
そんな気持ち
つまらないな
でもそれでいい
そんなもんさ
これでいい

しかし、ある瞬間、「僕」は自分の心の中から囁かれている声に気づきます。その声は、「僕」の中にいる「喜びの種子」の声です。

「群青」のコーラス部分の合唱は「僕」の心の声であり、「喜びの種子」の声でもあります。

知らず知らず隠してた
本当の声を響かせてよ、ほら
見ないフリしていても確かにそこにある

そして、「僕」は「勇気」を出して、自分の心の中にダイブしていきます。

すると、そこに心の声である「喜びの種子」があることに気づき、「僕」はその種子に向かって行きます。

この瞬間、それまで「退屈」だった人生のくすんだ色が「喜びの種子」を見つけたことで、心が輝き出して「青色」に変わります。

嗚呼
感じたままに描く
自分で選んだその色で
眠い空気纏う朝に
訪れた青い世界

好きなものを好きだと言う
怖くて仕方ないけど
本当の自分
出会えた気がしたんだ

「喜びの種子」を見つけたことで、「僕」は本当の自分に出会えた気がして嬉しくなります。

しかし、「喜びの種子」は目の前に見えるものの、なかなか手が届きません。必死で「喜びの種子」を手に入れようともがきますが、もがけばもがくほど痛みや苦しさを感じてしまいます。

嗚呼、手を伸ばせば伸ばすほどに
遠くへゆく
思うようにいかない、今日も
また慌ただしくもがいてる

悔しい気持ちも
ただ情けなくて
涙が出る
踏み込むほど
苦しくなる
痛くもなる

そんな苦しさを感じながらも、不思議と辞めたいという気持ちにはなりません。なぜなら、そんな気持ちとは裏腹に、身体が「喜びの種子」に向かって動いていくからです。

嗚呼
感じたままに進む
自分で選んだこの道を
重いまぶた擦る夜に
しがみついた青い誓い

それから、「僕」はやっとの思いで「喜びの種子」を手にします。

好きなことを続けること
それは「楽しい」だけじゃない
本当にできる?
不安になるけど

「喜びの種子」を手に入れることができて「僕」は安堵しますが、同時に、「この種子を育てていけるのだろうか」という不安も浮かんできます。

それでも、この種子を手にすることができたことで、「楽しい」という思いが自然と生まれ「意欲」が芽生え始めます。

しかし、最初は、どのように「喜びの種子」を育てていいかわからないので、不安な気持ちの中で試行錯誤を繰り返します。

嗚呼
何枚でも
ほら何枚でも
自信がないから描いてきたんだよ

しかし、そんな試行錯誤も「喜びの種子」が「苗」になり始めたことで経験となり、それが「自信」という武器へ変化していきます。

嗚呼
何回でも
ほら何回でも
積み上げてきたことが武器になる

さらに試行錯誤を繰り返して得た「武器」は、彼の「色」というべき「個性」へと変わっていきます。

周りを見たって
誰と比べたって
僕にしかできないことはなんだ
今でも自信なんかない
それでも

「僕」が自分の個性を見つけることができたことで、これからも楽しみながら「喜びの苗」を育てていこうと決意し、同時に自分を「受容」できるようになります。

感じたことない気持ち
知らずにいた想い
あの日踏み出して
初めて感じたこの痛みも全部
好きなものと向き合うことで
触れたまだ小さな光
大丈夫、行こう、あとは楽しむだけだ

その後、「喜びの苗」は「樹」へと成長していきます。「種子」から「樹」へと育てた僕はもう不安は感じません。なぜなら、「種子」から「樹」へと育てた経験が、自信という裏付けを獲得させたからです。

「喜びの種子」を「樹」に育てることが、自分の人生のすべきことだと気づけた「僕」は、自分のことを「ありのままの、かけがえの無い僕」と認識できるようになります。

嗚呼
全てを賭けて描く
自分にしか出せない色で
朝も夜も走り続け
見つけ出した青い光
好きなものと向き合うこと
今だって怖いことだけど
もう今はあの日の透明な僕じゃない
ありのままの
かけがえの無い僕だ

この「ありのままの、かけがえの無い僕」という思いは、自分を愛せるようになった印です。

そして、心の中の声(コーラス)と僕の思いが一つになります。

知らず知らず隠してた
本当の声を響かせてよ、ほら
見ないフリしていても
確かにそこに今もそこにあるよ
知らず知らず隠してた
本当の声を響かせてよ、さあ
見ないフリしていても
確かにそこに今もそこに君の中に

自分の心の中にある「喜びの種子」を見つけることができ、その種子を立派な「喜びの樹」へと成長させることができた僕は、「喜び」の中で満ち足りています。

「勇気」を出して自分の心と向き合い、「喜びの種子」を見つけることができるようになると、自分の人生に「意欲」を持って向き合えるようになります。また、「種子」を「樹」へと成長させていく行為は、自分を「受容」させそれが「自信」となり、やがて自分を「愛せる」ようになっていくことでしょう。

こういった一つ一つの過程を経て、人は「喜び」を獲得できるようになっていくのです。

こういった思いがYOASOBIの「群青」の中にあると思います。

そういった視点でぜひ、この曲を聴いて貰えるといいかもしれません。


「喜び」とは夢中になれることに出会うこと

人は夢中になれることに出会えると、本当の自分に出会えるようになります。

そして、本当の自分と出会えたとき、自分を愛せるようになって、真の「喜び」を獲得できるようになるでしょう。

「パワーか、フォースか」という本からの引用です。

「愛」がますます無条件になるにつれて、あなたの内側から喜びが湧き出ることを経験するでしょう。これは、突然何かの原因で起こるようなものではなく、すべての行動に常に伴い、一瞬一瞬の中に感じられるものです。

私たちが、真の「喜び」を獲得していくためには、まず、自分の心と向き合って、心の声を聞き心の声とともに歩んでいくことが大切です。

そういった意味でも、この「群青」の歌詞の「僕」のように「心の声」に耳を傾け、自分だけにしかできない「夢中になれること」を見つけることができると「喜び」の中で自分を表現して生きていけるようになるでしょう。

自分の心の中に飛び込んでいくことは怖さを伴います。しかし、その怖さを乗り越えた先には「喜びの種子」があり、その「喜びの種子」を手にして、それを育てていけるようになったとき、ありのままの「自分」を表現して生きていけるようになるでしょう。



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