77.「いまここ」で生きると世界が平和になる
人は「いまここ」の状態になると、自我から離れることができます。
瞑想中に無の状態になっているときや、何かに夢中になっているときは、自分についての思いを巡らせることはありません。
瞑想中の無は、自分という概念から離れることで生まれるものです。
何かに夢中になっているときは、夢中になっているその対象とひとつとなっているため、自分を忘れることができます。
しかも、この自分を一時的に忘れるという瞬間に、人は心地よさを感じたりするものです。
では、なぜ人は自分を忘れることができると心地よさを感じるかというと、我々は本来、分離した存在ではないからです。
このため、何かと一つとなっているという一体感を得られるようになると、人はある種の快感を覚えるようになっています。
瞑想中に無になることができたとき、自分という境界線が徐々に消えていきます。
何かを夢中になってしているときは、その対象と一体となることができ無心になることができます。
大好きな人を抱きしめているときに得られる快感は、自分とその人に境界がなくなって一体になっているという感じが生まれるからといっていいでしょう。
人の潜在意識には、誰にでもワンネスの意識が存在しているため、自分と他を分ける境界が消えてなくなると、心地よいという感覚を得ることができるようになっていると考えられます。
人の自我は相対的なものであり、自分と他者を比較することで生まれるものです。
しかも自分と他者を比較するということからは、どこまでいっても正解を得ることはできません。
例えば、僕が小学生の中に混じったならば、僕の身長はその中で一番高いということになります。
しかし、僕がアメリカのMBAのバスケットボールの選手の中に混じったならば、僕の身長はその中で一番低いということになります。
つまり、僕の身長は比較する対象が変われば、一番高くもなるし、一番低くなるものであり、どんなときでも自我は、他者との比較という相対性の中で生まれるものなのです。
人の自我は、優越感や劣等感を生み出します。
優越感や劣等感は、比較から生まれるものですが、比較する対象が変わってしまえば、優越感は劣等感に変わってしまうものだし、当然、その逆のことも起こります。
こういったことから、人が感じている自我(比較によって得られる認識)からは正解を見つけ出すことが難しいといっていいでしょう。
人は、劣等感を感じることに居心地の悪さを感じるものですが、優越感を持つことにも居心地の悪さを感じるものです。
こういった居心地の悪さの原因は何かというと、意識が「違い」に焦点を当てていからです。
そもそも自我とは「違い」を認識することで生まれる意識であるため、自我を突き詰めて考えていくと、必ず居心地の悪さを感じるものなのです。
仲の良い友人と一緒に過ごしていて心地がいいのは、自分と仲のいい友人との間に「違い」が少ないからということができます。
共通する趣味があったり価値観が似ていたりするため、話が合うことが多く、「違い」よりも「同じ」と感じることが多いからこそ、一緒に過ごしていて心地よさを感じることができるものです。
「同じ」という意識は一体感を生むものであり、この一体感が心地よさの原因であるといっていいでしょう。
我々は、「違い」よりも「同じ」であることの方に心地よさを感じるものであり、それは人の意識の深いところでは誰もが一つに繋がっているというワンネスの感覚があるからです。
こういった理由から、人は、瞑想で無の境地になって自我が消えたときや、何かに夢中になってその対象とひとつになれたときに快感を覚えるようになっているのです。
人が「いまここ」の状態になるとき、心地よさを感じることができます。
この心地よさを感じることが、人にとっての正解になります。
このため「いまここ」の状態になって得られる心地よさを人は求めるものなのです。
「いまここ」の状態には、好きなことをすればすぐに入れることができます。
例えば、夢中になって料理をしていると、あっという間に時間が過ぎて行ったりします。
この「あっという間に時間が過ぎている」と感じることができているときを、「いまここ」の状態といっていいでしょう。
こういった「いまここの心よさ」を人は誰もが求めて生きています。
そして、この「いまここの心よさ」は、潜在意識の深い部分に存在しているワンネスの意識から生まれてきます。
人が争うことを嫌うのは、争う行為がワンネスの意識とは真逆だからです。
しかし、この世界に争いが絶えないのは、人の自我意識が強くなっているからです。
先述したように、自我意識は「違い」に焦点を当てた意識であるため、自我意識が強くなればなるほど分離が生じ、その結果、争いが生まれてしまうことになります。
もし我々がこの世界から争いをなくそうとするのであれば、「違い」ではなく「同じ」に焦点を当てていく必要があります。
そこで「違い」よりも「同じ」に焦点を当てられるようにする方法の一つとしてあるのが「いまここ」の意識を使っていくということです。
なぜかというと、人が「いまここ」の状態になることができると、自我が薄まっていきワンネスの意識を活性化させることが可能になるからです。
このため、日々の生活の中で「いまここの心地よさ」を感じれば感じるほど、ワンネスの意識を体得できるようになっていきます。
我々が、日々「いまここ」の状態になって、楽しんで過ごしていけるようになると分離意識が次第に薄まっていくため、毎日を幸福感と充実感を保って過ごせるようになっていきます。
さらに、こういった幸福感や充実感で生きられる人が増えていけば、当然、争いがなくなっていき、やがて社会そのものが平和になっていくはずです。
一人ひとりの内的平和が社会の平和を生み出すものであり、一人ひとりの内的平和は「いまここ」で過ごすことで生み出すことができます。
そういった意味でも、どんなことでもいいので「心地よい」と感じることを可能な限り選択して、今を楽しんで生きるようにしていくことが大切なのだと思います。
世界の平和は、一人ひとりの精神的な平和から生まれるものであり、精神的に平和な人が増えていけば、それが人類の集合意識を変える力となります。
そのためにも、「いまここ」で過ごせる人が増えていけばいいと思います。
「いまここ」になるには、特殊な能力は必要ありません。
いまこの瞬間をただ夢中になって生きるだけでいいのです。
「今」を生きることがこの世界を変える力となります。
そのためにも、一人でも多くの人が、今に夢中になって笑顔で過ごせるようになればいいなと思います。
「いまここ」という誰もが持っている魔法を使えば、この世界は必ず平和になるはずなのです。
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