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10.【未来予測 】 都市の個性、街の未来をつくる"HOW"

この連載について
前回「【未来予測 】 データテクノロジー×カルチャードリブン 便利を超えた豊かなまちをつくる方法」はこちら

SOCIAL INNOVATION WEEK SHIBUYA2020 は2020.11.7-15に開催。
「HOW -今を、これからを、どう生きるか- 」をグランドテーマにお届けします。
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北村
前回、スマートシティやソサエティ5.0といった「まちを便利にするテクノロジーの文脈」と、人が暮らし働き訪れたくなる"らしさ"をつくる上で欠かせない「文化を育むヒューマナイズの文脈」を統合させたシナリオをどう描くかを問いました。今日も前回に引き続き、「まちの未来」をテーマに話していきます。ゲストは渋谷未来デザイン プロジェクトデザイナーの後藤太一さんと金行美佳さん。おふたりとも、都市計画を専門にされています。

後藤
後藤と申します。都市に関するプロジェクトデザインを生業にしています。都市を良くしていくときに、建物だけではなくビジネスや暮らしを創ることを考えたり、全体を一度に計画するのではなく面白いプロジェクトが全体を変えていくという発想に基づいた大きな仕組みを作る仕事をしています。渋谷未来デザインでは、プロジェクトデザイナーとして笹塚・幡ヶ谷・初台「ササハタハツ」のまちづくりをやらせていただいています。

渋谷未来デザインを立ち上げる過程からご一緒していて、実はこういう機構そのものがこれからの都市づくりにおいて重要なんじゃないかと思っています。


金行
金行と申します。日建設計という設計会社で都市計画やまちづくりを生業としております。これまで地域のエリアビジョンづくりや規制緩和の検討のほか、東京駅や渋谷駅周辺で、複合的な都市開発事業の都市計画コンサルティングに携わっています。渋谷未来デザインでは、創造文化都市プロジェクトとして、都市の多様性を維持するために、大中小規模の様々な規模の都市空間が共存できる制度づくりに携わっています。

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後藤太一
一般社団法人渋谷未来デザイン プロジェクトデザイナー
リージョンワークス合同会社 代表社員
一級建築士、米国認定都市計画士
世田谷区生まれ育ち。ゼネコン勤務中に阪神淡路大震災に衝撃を受け、まちづくりの仕組みづくりをライフワークにする。米国西海岸で三年間学び働いた後、渋谷区内に在住在勤。地域に入って仕事をするため2003年に福岡に移住。エリアマネジメント、都心再生、地域経済開発など価値共創の仕組みを立ち上げ福岡の成長基盤づくりに貢献。その知見を活かし、渋谷未来デザインの立上げに参画。週末はテニスプレーヤーでジュニアユースサッカー応援団。渋谷は学生時代の思い出の地。

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金行 美佳
一般社団法人渋谷未来デザイン プロジェクトデザイナー
広島県出身。大学卒業後、(株)日建設計にて、エリアビジョンづくりや規制緩和などの政策立案から、複合的な都市開発事業の都市計画コンサルティング業務まで幅広く従事。最近では、渋谷駅や東京駅周辺エリアの駅まち一体型開発を担当。技術士(都市及び地方計画)、一級建築士。趣味は、ゲーム、音楽、アートと島。

街の個性をつくる「アレンジ」というHOW


北村
後藤さんには、2019年のSIWで、吉村有司先生の「都市におけるビックデータの可能性」、石川善樹先生の「さまざまな渋谷の見つけかた」、山崎満広先生の「世界で一番住みたい街をつくる〜ポートランドで感じる未来の形〜」のコーディネーターをしていただき、「渋谷の未来を語るー都市の成熟についてー」というテーマで金山さんとインタラクティブセッションにご登壇いただきました。

まず、渋谷という都市を解釈するにあたってみなさんが考える渋谷らしさはどんな感じかお聞かせください。


金行
地形から渋谷の独自性を読み解くと、駅を中心に放射状に通りが伸びていて、通り沿いに街が広がっていることは特徴的で、それは景観的な面白さを生み出していていると思います。駅から街へ歩いていくと、通りが分岐しながら広がり、分岐点には辻ができていくんですが、その分岐点に109のシリンダーのような象徴的な顔ができていて、都市景観として特徴的な表情がつくられる。渋谷ならではのすごい面白いことだと思います。
また、地形的に、駅から街へ通りが放射状に広がっていくということは、通り沿いに発展した街、そこから生まれた文化、集まる人も独自性を保ちながら、どことも交わらずに、放射状の先へ先へと発展している、だから個性が際立つ通り文化が長い歴史の中で息づいているんだと思います。逆に街から駅へ行くときは人はみな谷底の駅で交わる。駅にしかない多様性と、放射状にのびる通り沿いの個性が対照的なのが渋谷らしさかなと思います。
丸の内のような通りがグリッド上の都市は、通り毎に個性が際立つというよりは面で発展して個性が出るという点が渋谷との大きな違いだと思います。

金山
今の話、金行さんとわりと長くお付き合いしているけど、初めて聞いた。面白いね。
街の雰囲気って、どういう思想を持った人がどうデザインするかとか、開発を司るデベロッパーの意思決定者がどういうセンスを持っているかで決まっていくと思うんだけど、物理的に交わらないという地形の影響でかたちづくられていくという話はすごく面白い。

金行
私はそうなんだろうなっていう気がします。大手町や丸の内と渋谷を比較しながらまちづくりを考えていたんですけど、丸の内は通りがグリッド状に展開しているので、ある一定の囲われた面でまちの顔や個性がでています。放射状だと、辻の都市景観や通り毎に個性があって街が展開していくことが違うかなと考えています。渋谷の多様性って、言葉ではよく出るけど、都市の骨格 地形の違いがこの言葉を生んでいるのかなって思います。

長田
新宿は?

金行
新宿もほぼグリッドです。東京駅の八重洲側も、江戸時代に町人の街として発展しているので、基本は水平と垂直に通りが交わっています。渋谷だけが駅から街へ放射状に通り・まちが伸びているんですよね。

金山
原宿とか表参道あたりも一見グリッドっぽく見えるけど、縦横だけじゃなく斜めにも道が走ってますもんね。福岡ってどうでしたっけ?

後藤

福岡は平清盛の時代と豊臣秀吉の時代にグリッドが作られたんですよね。けど、そこから時代が下るにつれて混沌になりました。札幌やポートランドの人にとって、福岡は最高に面白いみたいです。どこに何があるかよくわからない。同じ現象が渋谷にもあると思ってて、都市計画の先輩に言ったら怒られるかもしれないけど、あまり計画されていないですよね。有機的に生き物のように育ってきたことが、カオスかもしれないけどしなやかさを生んでいるのでは、と思っていて。

サンフランシスコやポートランドは、地形に逆らって無理やり碁盤の目を引いているんですよ。渋谷もやろうと思ったらグリッドにできたのに、先人はやらなかった。僕はそれがよかったのかなって思うんです。

金山
金行さんは、渋谷のまちづくりを設計という立場からサポートしていると思うんですけど、開発するときに全体のテーマやコンセプトを決めていくじゃないですか。そのために、よくその土地が何を目指してきたかは頑張って探して、探すと出てくるんだけど、頑張って探さないと出てこないのって個性や文化なんだっけ?って思うんですよ。「実はこんな背景があって」と言う時の「実は」って、タンスの奥にしまわれていたのだとしたらそれは果たして文化なのか。単なる過去の歴史上の一事実でしかないのでは、と思って。

それよりも、「ここをこんなエリアにしよう」という誰かの強い意思が街をつくっていくんじゃないかと思うんですよね。109や西武、PARCOとかができたことには、ファッションの集積地を作るんだっていう強い意思が宿っていてそこから文化が生まれてきた。なぜかレコードショップが集まってきて、「渋谷は音楽の街」みたいに偶発的に文化が生まれてきたっていうこともあるんだろうけど。

そのあたりに興味があって、ここから先はどういうふうにまちづくりがリードされ、誰が意思を持っていくのか。それとも、ホワイトスペースを作って偶発的に何が生まれるのかを実験した方がいいのか。どうなんだろう?っていろんなところで話をして、話をするたびに意見が変わっちゃうんだけど、金行さんはどう思います?

金行
いわゆる都市開発といわれる比較的大きな建替えに携わる仕事が多いんですが、都市開発も徐々に役割が変わってきているなと思っています。今までの役割は、高度経済成長期に整備した都市インフラが老朽化してきたなかで、公共投資を減らしながら公共と民間と一緒になってインフラを再構築し、都市の基礎体力を向上させるということが役割でした。結果として大規模開発が増え、インフラの更新が一定図られた一方で、どの都市も均質化しているという声をよく聞くようになりました。

この先は、インフラの再生という都市課題は解決しながらも、新陳代謝を繰り返す都市において、長く根付いてきた文化をどう生かし、新しい文化をどうやって都市に根付かせていくか、本気で考えていかないと大都市は均質化して死んじゃうなと思います。これはとても難しいことでこれが答えというのを持ち合わせていないのですが、経済合理性を保ちながらも、街に根付く文化やプレイヤーをどう育てていくかという視点は、都市づくりに関わる多様な主体全体で考えなきゃいけないと思います。

金山
後藤さんはその辺どう思います?

後藤

意識としては全くもってその通りだと思っています。日本のデベロッパーって建てて売って抜けることをあまりせず、腰を据えてまちをつくっていく、世界中で日本にしかない業態なんですよね。ニューヨークやロンドンだと、インベスターやマネージャー、運営者以外に中小企業や個人のプレイヤーがいっぱい出てくる。その人たちの存在や行動がすごい重視されている気がしていて。制御しきれないから、制御しようとしないゆるいやり方がすごい大事になるんじゃないかなと思ってるんですね。

50年前のまちづくりだと、将来の設計図を書いて、それに向かって作っていけばだいたい大丈夫だったんだけど、今は将来の設計図を書いても意味が乏しい時代。そうすると、ファッションメーカーが湧いてくるところとか、おいしい飲食店ができたところとか、貧乏な学生が住んでいたところがちょっとずつ変わっていくのかなって渋谷に限らず思っています。


金山

金行さんが話されたように、「同じようなもの作ってもしょうががない」って没個性がよく批判されるんだけど、僕は重要なのは建物のデザインとかじゃなくて中身じゃないかなと思う。建物の中で誰が何を考えて何をどうしているか。スマホだって、みんな同じものが大好きで、ある種のライフインフラとして無個性に持ってるじゃないですか。それで、中身は自分の好きにインストールしてる。

後藤
僕らは「街が」「都市が」って話しがちだけど、人はそういうふうに見てないですよね。自分の私的な暮らしの中で、楽しいとか、好き嫌いがあると思うんです、人間だから。批判的に「個性が」とか言う時って、根元には人間の生き物としての好みがあると思ってて。好きじゃない人が「個性が」という言葉で「自分は何か違和感を感じる」って言ってるだけだと思うんですね。そして、そういう意見が出るのが健全だと思ってて。みんながこれが最高って言っている街があったらそのほうが気味が悪い。そういう中で、結果的にある建物の形とか、空間とかが好きな人が集まってきて、その人たちが好きだって言っていることが一つの文化になって、個性になっていくのかなと、僕は思ってます。

長田

それで言うと、商業施設やビルといった土台をつくってきた人たちと、中身を作ってきた人たちが意外と交わってないなって見てて感じてます。「こういう建物があるけど何を入れたらいいでしょう」って問いを立てると面白いものは出てくるけど、何かしたいことがある人がどこに話に行ったらいいかわからない、というシーンを、ここ2年くらいでよく見ている。

ビルだけがあっても意味がなくて、個性や文化って魅力的な人や生き物のことだと思うので、街を育ててきた人でも新しく入ってきた人でも、面白い人が集まることと、「ここにいたい」「何か言いたい」「話題を作りたい」っていうモチベーションが生まれていることが大事で、そこは渋谷はすごいなと思っています。話されてない土地っていっぱいあるじゃないですか。大げさかもしれないけど90%以上の街は話題にのってきてないですよ。でも渋谷は毎日ニュースに出てきて、よくも悪くも話題にされ、我こそはというご意見番みたいな人の愛憎も渦巻いていて。それはいいことなんだなって話を聞いてて思いました。

金行
たしかに、丸の内にはそういう議論はないね。

後藤
消費しちゃってるんだと思うんです、街を。消費する人と創造する人、両方がいるのがいいと思ってて、消費者しかいない街って結構辛いと思うんですよ。一方で、世の中全員アーティストなわけじゃないし、渋谷は混ざっている感じがすごくいいなと思いますね。

金山さんが言ったスマホの話って大事だと思っていて、中身もだし、ケースかもしれないし、カスタム化していくんですよね。街においても、ちょっとした自分のオーナーシップを出せる部分、表現できる部分をみんなどこかで探してるんだろうなって思うんですよね。渋谷はオーナーシップ欲や表現欲、出せる、ある、持っている人が多い街かなって思ってる。

金山
そう考えると、渋谷という街自体が変わっていって文句も言いたくなるけど好きでいる人たちが、カスタムなのかデコレーションなのか、どうアレンジしていくかということに個性が委ねられているとも言えるんでしょうね。

後藤
アレンジっていう言葉が持つ"ちょっとずつ"の感じ、いいですよね。街って生き物みたいなものだから、ちょっとずつ変わっていく。長い歴史を紐解けば、こんなにオフィスが増えると誰も思ってなかったし、こんなところにデパートできるなんで誰も思わない田舎だった。次どうなるかわからない中で、次を考える人がいるという状態がいい街だなと。

金山
渋谷未来デザインじゃなくて、渋谷未来アレンジって会社作ろうかな。

長田
我々は、アレンジしている人たちかも。

金山
アレンジって音楽だと「編曲」と名付けられたカテゴリーの仕事なんだけど、編曲によって曲の個性はずいぶん変わるんですよ。クラシックでも演奏者の細かなタッチとかニュアンスによるアレンジで価値が定義されたりすることもある。だから、何百年前に書かれた同じ曲から偉大なピアニストが生まれたりする。その視点は確かにすごい大事かもしれない。そういうふうに街の作られ方とか個性とか未来像を捉えたことがなかったから、アレンジという言葉と、この感覚と出会えただけでも満足しちゃったな。

後藤
業界では編集っていう言葉はよく出るんです。砂漠や原野に首都をつくるわけではないから、街づくりって0→1ではない。あるものを組み替えるとか、素材を引っ張り出して持ってくるという要素が強くあります。そこに個性や好みが出る。

都市のビジョンが、市民のアクションを通して"sense of place"に顕現するには?


北村
アレンジしたい人がアレンジできるようにするために、あるいはアレンジする余白をつくるためにみなさんがトライされていることはありますか?後藤さんはセッションの中で「タクティカルアーバニズム(※)」のお話をされていました。

後藤
タクティカル・アーバニズムという概念では、長期的変化のためには短期的なプロジェクトや長期的戦略に基づいた仮説的実践や社会実験が重要であるとされているんですが、実際に、小さな動き出しをやって実態を変えていかないと何も次に行かないよねってという方法論はみんな合意できています。で、どこから動かすの?と。そこがチャレンジなんですよね。ササハタハツだと、有名な建築家の田根さんが提案している旧・玉川上水緑道を考える大きなビジョンと、街の人たちが面白いマルシェをやりたい、カフェをやっているといった動きがどう繋がるか。いろいろ工夫しています。

今、研究を始めているのは、市民参加の仕組みそのものが変わる先のことです。声なき声みたいな人たちの意見や希望が吸い上げられるようになるべきだし、街のことをわからずになんとなく専門家がこうだと決めるやり方はおかしい。一方で、これからはスマートシティの文脈から「今この街がどうなっているかが誰の目にも可視化される」という現実が現れてきます。これによって、市民が持つ意見や希望の質が変わるはずです。そこに、都市計画のやり方が変わる可能性をすごい感じています。

金行
今手がけている創造文化都市事業では、実装ではなく制度を作っています。これから、というところですが、目的は大きな建物だけじゃなくて中小規模の空間が維持できる仕組みを作ること。中小規模の空間を残していくと、いろんなバックグラウンドを持った人が集まりやすくなる。それをビジョンに、地元の人たちとお話をしながら一個一個丁寧にルールを作っていく段階で、これから実装に向けた一歩を踏み出すところです。

わたしの視座から投げかけたい問いがあるのですが、さまざまなプロジェクトを見渡していると、実証実験が目的化していて、ビジョンが見えづらい実験が多いように感じます。専門家しか意義とか意味を理解していない。たとえば大阪の御堂筋だと、「将来的に全部を歩行者道路にします」って明確に示してるんですよね。ビジョンを絵姿としてきちんと見せて、「逆算して今これをやるんです」という見せ方で、ちゃんと市民に伝えているんですよ。そういうやり方を、専門家がきちんとすべきではないかと思います。何のために今があるのかを分かりやすくオープンにすることが大事だと思います。

金山
これ、なんでダメなんだろう。渋谷はなぜビジョンなき実証実験になっちゃうんですか?

金行
ビジョンはあるんだけど想いを分かりやすく表現できてないのかな?

金山
ビジョンメイカーはいる気がするんだよな。ハセベ区長もビジョンメイカーの一人だし、意思を持って何かを語ればビジョンになるはずなんだけど。

後藤

大きなメッセージをとらえて、解像度を上げて「こういうことでしょ」って出す仕事が足りないんだと思う。海外だと、一人がブチあげると、周りの人に権力があるのでぐわーって計画にしたり事業にしたりが速い。

金山
シンガポールとか、すごいもんね。

後藤
トップのビジョンがそのままかたちになっちゃうのも怖いんですけどね。渋谷未来デザインの役割が、まさにここにあると思っていて。「こういうことですよね」っていう翻訳。「ハセベ区長のビジョンは、駅のあたりだとこういうことで、笹塚だとこうですよね」って変換して実務に落とし込んでいくことが大事だなと思います。

長田

わかります。「なぜやっているのか、どういうものをゴールにしてるのか」って、最初はあったかもしれないけど、だんだんやることが目的になっていて、「実証実験やりました。こういう結果出ました」と。その結果ってある程度予測できたことなんじゃない?っていう現象が結構あると思います。

金行

最近、実証実験が、合意形成の一つの手段になっちゃってることが多いと思います。本質的な実証実験とかタクティカル・アーバニズムとちょっと変わってきてるんじゃないかなと。そういうのだったらやらない方がいいんじゃない?って思う。


後藤
「実験」っていう言葉がこんなに出てくるのは実に日本的だなと思っていて。背景にあるのは、「全てのことがどうなるかわからないけどやってみよう」っていう気質の乏しさですよね。だから、「実験」というフレーズを貼ってエクスキューズするんだけど、本来は「とりあえずやってみよう」でいいし、それが本質なのにね。

金山
そもそも、資本主義の土俵にいる株式会社はビジョンがないとだめという価値基準が普遍的になっているけど、街づくりを担う行政には敷衍していないよね。「ビジョナリーな区長です」と言っても票が集まらないから、ビジョナリーな区長が出にくい。ハセベさんも1期目はギリギリで当選した。ビジョナリーな区長が求められてたわけではなかった。つまり、街全体がビジョンを持つには、ビジョナリーな行政トップやビジョナリーな議員を生んでいくビジョナリーシティズンが必要なんじゃないか市民一人ひとりが自分たちの街に対して具体的なビジョンを持っていたり、思い描いている状態じゃないとダメなんでしょうね。

市民一人ひとりがビジョンを持ち始めたり、ビジョンを持っているかどうかで発言の大きさが変わってくるような社会にシフトするともっとよくなるんだろうなってお二人の話を聞いてて思いました。そうすると、市民のビジョンに応えていくのが行政の仕事という構造になる。それが、シビックプライドとかシティプライドの本質で、そうなれば、実証実験はもっと有意義になるし、結果が出た先の実装までのスピード感があがってくんじゃないかな。

北村
ビジョンを持った都市は、どれくらい先のビジョンをイメージしているんでしょうか?

後藤
僕は情景が頭に浮かぶことが大事だと思っていて。箱だけじゃなくて、どんな人がいるのか、木は生えているのかいないのか、空は広いのか、茶色かクリーム色か、そこにある食べ物は和食なのかスタバのコーヒーなのか。リアルな体験をイメージできる状態が大事だと思うんですね。そうすると、たぶん10年、20年先はイメージできなくて。3年後くらいかな、とか、明日あったらいいな、とか。リアルな状態を大勢の人が金山さんのように考えられる、イメージが湧いているっていうのが大事だと思うんですよ。

区長とかリーダーが掲げるビジョンにおいては、何箇所か鍵になる場所について強く打ち出すことが必要だと思っていて。ブランディング手法の一つだけど、3×3のマスにイメージ写真を並べるとか、ああいう作業がすごい大事。ササハタハツは虎なのか猫なのかパンダなのか、茶色なのか緑なのかとか、その先で緑道はどうあってほしいとか。言語化を超えた、そういう温度感です。抽象的でごめんなさい。でも、こんなことを考えています。

金行
市民といってもいろんな人がいるんだけど、市民の人が考えるビジョンって日常の延長にあることが殆どなんですよ。今日、明日、明後日、一週間後とか、短いスパンのなかで考えている。その声にきちんと耳を傾けることは大事だけれど、行政がそれに迎合して「長期の未来はよくわからないけどとりあえず行こうぜ」だと、行政の機能としては危ういと思います。市民の声をきちんと拾える行政の器を持ちながら、行政はそれをビジョンに転換するという専門性が必要なところを、渋谷未来デザインが手伝いながら具現化していくこと必要じゃないかなって思いますね。


金山
渋谷区はハセベ区長になってから「基本構想」を策定し直していて、公的なビジョンや政策の戦略がみんなのものになりやすい言葉で書かれてるんだよね。誰にでもわかりやすく書かれていて、みんなに解釈の主導権が渡されている基本構想ってリスキーでもあるんだけど、本当の意味での民主化のシンボルっぽくていいんじゃないかなって思ってるんですよ。みんなが基本構想を盾にいろんなものごとを考えて、主張していけそうな言葉づかいで書いて公表しているところが、渋谷はすごく面白いなって思います。

「新しいビジネスがどんどん入ってきて、それをもって観光地としての新鮮さを保つ」って書いてあったら、「こう言っているんだから新しいものを持ち込んでやらせろ」みたいな話になるじゃないですか。現実には、基本構想に書かれた理想像に対して、実現に必要な法制度が渋谷区でガバナンスできる領域を超えて複雑に絡み合っているから、理想と乖離してきちゃうんだけれども。それでもまず、理想を市民とシェアしているって、すごいことをやっているなと最近思ってます。

北村
基本構想を打ち出して、意見を聞く構えは本当にすごいと思うんですけども、みんなの意見を聞いたり合意形成していくのはどうやっていく感じなんでしょう?

金山
ここ数年いろいろやってきて、「市民の声を聞く」って旗を立てて顕在化する声ってあまり意味がないなと思っていて。何かというと、言いたい人はすでに言っていて、わざわざ機会をつくってコストをかけてプログラムをやると言いたい人しか来ない。だから、声なき声があることをわかった状態で、どう拾うか、どういうふうに耳を傾けると声なき声が聞こえてくるのか、自分で努力しなきゃいけないと思っています。

後藤
そこがまさに、スマートシティの文脈で議論していることです。これまで吸い上げられてこなかった声なき声を、データのかたちで集めて分析してオープンにすることで社会をよくしたい。同時に、声なき声を持つ人たちがもっと考えを持って声をあげるようにしていく、エンパワーメントしていくことが大事だと思うんですね。

そういう新しいアジェンダ設定のかたちをつくった上で、合意形成においては、全員一致とかではないやり方があるはず。目的が曖昧なまま、「市民の声を聞く」と言って金山さんの嫌いなワークショップみたいなのをいっぱいやっちゃうと、残念な資料ばっかりできるわけですよ。

北村
私、バーチャル渋谷民にしていただいたんですけど、バーチャル渋谷では市民参加のアジェンダセッティングや合意形成をやっていくんですか?


長田
面白かった事例があります。わたし、バーチャル渋谷の会議に議員さんと一緒にアバターで登壇したんですよ。バーチャルな議場には、結構人が出てきてて、みんなアバター。パッと見た感じ50人くらいいたけど、実際に何人だったかわからない、50人くらいまでしか映らないから。

そこで、チャットで「こうしたい」「こう思う」って意見がいっぱい出たんですよ。批判もあれば、いいことがあると拍手してくれた。みんなで顔合わせて集まる会議もなくならないけど、バーチャルな集会だと、これまで来なかった人も入ってきて面白いなって思ったんです。

金行
合意形成のあり方って、多様化すればいいと思うんですよね、ワークショップに出て議論することで納得できる人も一定数いるので、「言いたいことを言える」場を用意するのも大事だし、20年くらい前からずっとやっているような住民説明会とか、200人くらい集めてちゃんと説明する場もなきゃいけない。バーチャルであれば、「ボタンを押すだけならイエスかノーが言えます」っていう人のためにそういうツールもあるべきだし。それでもなお、街全体のことに全く興味がないっていう人は絶対いるので、そういうものを考えながら専門家って政策に反映させないといけないんだろうなって思いますね。


金山
ワークショップ完全否定派でもないんですけど、ワークショップ至上主義みたいなのは嫌いなんですよ。

金行
それは辛い。ワークショップが目的化してしまうのは。

金山
ひとつのイニシエーションとしてのワークショップには一定の価値があるし、やってみるべきだし、そこで発見できるエッセンスはあるんだけれども、それが全てになっている環境がすごく嫌で。

最悪なのはコンテストっぽくなっちゃってて、選ばれたら誰かが何かをやってくれるんじゃないかみたいな空気になるパターン。いいと思ったら自分たちで組織作ってやりなさいよって話じゃないですか。ワークショップの先にアクティビストが生まれるといいんだけどね。「これ考えたからやってください」みたいな、そんなんばっかりで。

北村
先ほど金行さんがおっしゃったような「個人は長期ビジョンを持ちづらいから、行政がリードする」という視点はもっともだと思いつつ、金山さんがおっしゃるようなビジョナリーシチズンの登場や活躍にも期待したいですね。行政と市民が触発しあえる街づくりには、舞台装置として何が必要なんでしょう?

金行
私はまちづくりの専門家だけど、「10年後どうなってますか?」って言われてもわからない。でも「わかりません」っていうのは答えじゃないので、10年後も確実に起こりうることと、わからないものを見極めて、わからないものに対しての余白を残しながら、制度設計とか空間とか作っていくと、余白のところにいろんな人が関われるんじゃないかと思います。


後藤
余白っていい言葉だね。

金行
決め過ぎない。金山さんが言っていた渋谷区の基本構想の良さって、すごくキャッチーな言葉が置かれていて、読み取る人それぞれ、自分の解釈で読み取れる。それも余白だと思うんですよ。創造性を残すというか。1から10まで決めずに、創造性の余白を意識的に作っていくことが、専門家として必要かなと思っています。

長田
視点が街の都市計画とは違うんですけど、「ちがいをちからに変える街。渋谷」ってキャッチコピー、意外と好きだなと最近思っていて。わかりやすく、誰もが参加できたり、この街に来ると自分が解放されて、なんらか力を与えてもらえる可能性を感じます。街って、訪れたときに次に進める道筋を与えてくれると思えることが大事なのかなと思ってるんですよね。今、渋谷にはそれがあるからこれだけ人が集まっていると思う。その情景を、うまくたくさんの人に知ってもらう活動は大事だなと思っていて。

リーダーがつくったり表現したビジョンを街が背負ったことで、徐々に変わっていく現実を体感してもらう。成功体験を見せていく仕組みやストーリーがもっと必要だなって思ってます。そうじゃないと、街は死んでっちゃうのかな、と。だから、長谷部区長のみならず、行政の人も市民も、いろんな人がもっと語れるようになったらいいと思います。

金山
街が市民をビジョンでリードしたり、ビジョナリーが育つような街にしたいというときに、言葉で説得するだけじゃなく、言語化できない空気感をどう作るかっていうことをやらなきゃいけないのではないか、って今みんなの話を聞いていて思いました。歴史を解釈するのも、未来のイメージも基本構想も戦略も企画書も言葉で作るけど、それらがどういう空気として漂うのか。「文化の香り」みたいな目に見えない空気をどうやって作るかを考えていくと、市民の中にビジョン感が沸き起こってくるんじゃないかな、と。

たとえば、金行さんが言った「御堂筋をすべて歩行者専用道路にする」っていう具体的なビジョンに向かって今があることを表現するイベントをやってみるとか。それを吉本の芸人総出てやったりすると、「こういう人たちが出ている」っていうファクトを持って空気ができるじゃないですか。

もしかしたら渋谷みたいな街だと、この街で日々開催される大中小のイベントが空気を作っていくのかもしれないし、部分的には没個性的なビルが建つんだけども、そこでどういう人が働いていて、どんな商品を陳列しているかとか、どんな価値観と個性を持った人がショップに立っているのかとか。そういうのも含めて空気を形成していく必要があるのかもしれません。

後藤
英語に「sense of place」といういい言葉があります。訳し方が難しいんだけど、空気もそれにあたるんだろうな。

金山
すべての都市にあるかわからないけど、イタリアには男の人が女の人に声をかけやすい空気があるとか。つまり、「らしさ」。「らしさ」って空気なんだろうなって。渋谷は、意外と感じられる「らしさ」や「空気」が薄いなと思っていて。薄いから、僕も言葉で語るんだけど、本来の「らしさ」って、語らなくてもわかりますよね。

北村
言葉も必要だし、長田さんのおっしゃる成功体験を見せる映像も見せていって、小さい頃から「自分がこの街をこうしたいと思ってアクションしたことが本当にかたちになった」という実体験を重ねていくと、「らしさづくり」「空気づくり」に参加する喜びが得られて、ビジョナリーシチズンが育つのかもしれませんね。
(2020/9/4 16:00-18:00 @online)


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to be continued to

https://social-innovation-week-shibuya.jp/


構成:浅倉彩

SOCIAL INNOVATION WEEK SHIBUYA2020 は2020.11.7-15に開催。
経営者・社会事業家・クリエーターなど各界のキーマンがセッション。
会場観覧とオンライン視聴が30カンファレンスすべて無料。
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