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#160 賢治の「ばだらの神楽」の摩多羅神【宮沢賢治とシャーマンと山 その33】

(続き)

修験道の話の中で、しばしば神仏習合についても触れてきたが、前に書いた通り、この2つには繋がりがある。日本の信仰の1つの特徴は、信仰対象としての神と仏が明確に分かれずに混在し、僧侶が神も祈り、神主が仏も拝んでいた、ということだ。その結果、仏とも神ともつかない不思議な信仰の対象までもが存在することとなった。何気なく訪れている神社仏閣でも、出自がよく理解できない神仏に手を合わせていることも、しばしばある。

その一つの例が牛頭天王で、「ごずてんのう」という、何やら怪しげな名を持つこの信仰対象は、岩手の祭として最近大きな話題となった「蘇民祭」という祭に関係しているらしい。

また、「摩多羅神(またらじん)」という不思議な名を持つ神も、神と言う名は付くが、仏教の天台宗の信仰の対象となっている。

この摩多羅神は、神仏習合の象徴的な信仰対象であり、賢治もまた、作品の中で「ばだら」という名で登場させ、「ばだらの神楽面白ぃな」としている。

摩多羅神は、不思議な魅力を持っている。

摩多羅神は、岩手の県南地域・平泉にある毛越寺の常行堂の後戸にも祀られており、33年間に一度だけ開帳され、次の開帳は2033年という秘仏中の秘仏だ。毛越寺は天台宗系の寺で、奥州藤原氏二代・基衡によって建立されたが、かつての建造物はほとんど失われた。今は庭園と、わずかな建物が残されるのみで、当時の神仏習合の名残はほとんど感じられない。

しかし、毎年一月下旬に行われる祭は、「摩多羅神祭」と呼ばれ、毛越寺を代表する芸能でもある延年の舞は、摩多羅神に向かって舞われる。ちなみに、観客に向かってはお尻を向けて舞われる。

厳寒の深夜に舞われる延年の舞は、能のルーツにも見える独特の舞で、稀に絵画や神像として表される摩多羅神の姿も、能の翁面のような容貌をしている。延年の舞の解説をする毛越寺の僧侶によると、毛越寺にとっての延年の舞は、早池峰にとっての神楽のような位置付けにあるとのことだった。

神仏習合によって、日本からはほとんど姿を消した摩多羅神に向けて、芯から冷える真冬の深夜の毛越寺の常行堂で、粛々と舞が奉納される姿を目にすると、この神とも仏ともつかない信仰の対象は、神仏分離を経てなお、平泉で大切にされてきたのだということが実感できる。

しかし、この摩多羅神、不思議な名前を持ち、出自も曖昧で、秘仏とされていることなど、謎が多い。毛越寺の摩多羅神も、祭にその名を残し、常行堂の解説板にわずかに登場するが、その実態は掴めない。

【写真は、平泉・毛越寺 常行堂の解説板】

(続く)

2024(令和6)年3月23日(土)


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