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#125 宮沢賢治と大谷翔平(14)

(続き)

宮沢賢治の晩年は、自らの病の影響もありましたが、農民達の暮らしや文化の向上を目指していた羅須地人協会の活動を中断せざるを得なかった事などから、挫折に満ちていたようにも見えます。

エマーソンも、病で苦しむとともに、南北戦争でアメリカ人同士が殺しあう姿を目にしなければならず、晩年は挫折感に包まれていたように見えます。

人間が潜在能力の全てを発揮し、自らを高め続けることができれば、社会はより進歩し、人類に繁栄が持たされるはずでした。しかし現実には、アメリカでは内戦が、日本も世界大戦への道を突き進み、原始に遡ったかのような暴力と破壊の時代を迎えます。

賢治もエマーソンも、そのような未来は望んでいなかったはずで、2人とも人間の可能性を、どこか楽観的に信じようとしていたのではないでしょうか。

現実問題として、賢治やエマーソンのような、高度な知識や社会的な地位を持ち、善良な心をもった社会の上流に暮らす人間は多数派ではなく、有象無象の雑多な欲望をもった人々によって社会は構成されています。
二人に挫折をもたらしたものが、そういった(我々のような)人間であったかはわかりませんが、そのような現実の中で、二人の思想はあまりに楽観的にも思えるのです。

大谷翔平の挑戦は、金銭欲や名誉欲、拝金主義や権謀術数が溢れる世界の中で、特異な輝きを放って見えます。大谷1人に関する報道は、日本のプロ野球全体の報道に匹敵、場合によってはそれ以上でもあるほど、大谷への注目は異常なほど高まっています。野球界だけではなく、社会全体からの注目を集める理由には、大谷が持つ、野球の高い技術や能力はもちろんですが、大谷の精神性も影響しているのではないでしょうか。

そして、賢治やエマーソンが求めた理想主義的な人間性の実現は、現代でもなお、困難と思われるからこそ、逆に、今も人々を惹きつけているように思われます。

(続く)

2024(令和6)年2月17日(土)

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