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原敬と岩手(5)(終)【宮沢賢治の風景と、新渡戸稲造・原敬・佐藤昌介達の時代(5)】[#35]

○ 原敬の上京
 原敬(健次郎)は、盛岡にあった作人館で学んだ後、1871(明治4)年、故郷の盛岡を離れて上京します。作人館の同級生達も、原と同様に故郷を離れ、日本や世界で活躍していきます。
 友人と二人で盛岡を発った原は、途中で知人に貸した金が返ってこず、予定していた船に乗れなくなりそうになるなど、トラブルに見舞われましたが、なんとか東京へたどり着き、旧南部藩にゆかりの人々を頼りながら学び始めます。
 1872(明治5)年には、旧藩主だった南部家が運営する共慣義塾に入学しましたが、間もなく退学し、その後も東京で学ぶ原が腰を落ち着けるまでには時間がかかります。原健次郎という名前を、自ら原敬という名前に改めたのもこの頃で、以降、東京や海外に活躍の場を探しながら、後に「平民宰相」と呼ばれるまでになっていきました。

2022(令和4)年10月27日(木)

(了)

【参考資料】
「原敬-「平民宰相」の虚像と実像」 清水 唯一朗 中央公論新社 2021年
「国萌ゆる 小説 原敬」平谷 美樹 実業之日本社 2021年
「本懐・宰相原敬―原敬日記をひもとく」木村 幸治 熊谷印刷出版部 2008年
「原敬と新渡戸稲造: 戊辰戦争敗北をバネにした男たち」 佐藤 竜一 現代書館 2016年

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