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子どもはほしいけど育児はしたくない

私は大学准教授として都内の大学で働く傍ら、副業として経営顧問やwebマーケティングなどの仕事をしており、自ら望んで産休も育休も取らなかった。大学は法律で最低限度に定められている産後6週間の産休のみ、その他の仕事は一日も休まず、産前も出産直前まで、産後も産後0日から仕事を継続している。

産休も育休も取らないというと、多くの人から「なんで?」「取得できなかったの?」「取得しづらかったの?」と再三に渡って聞かれた。その度に私は真実のみを答えている。答えは明快で、育児したくないからである。仕事がしたいからである。

一般的に、女性は産休や育休を取りたがっていると思われているようである。仕事を休んでかわいい我が子の面倒を見たいだろうと思われているようだ(もちろん、そうしたい方はぜひそうしたら良いと思う)。

私は出産前から、子どもはほしいけど、育児はしたくなかった。いざ産まれてきたら、子どもはかわいいのかもしれない。しかし、授乳のために2~3時間に一度(あるいはそれ以上の頻度で)起きて、連続して7時間の睡眠時間を確保できない上に、四六時中泣きわめいておしっこやうんちを垂れ流している子どもの面倒を24時間みたいという感情がわいてきたことはなかった。

とにかく大変そうでやりたくない気持ちの方がはるかに大きかった。正直、仕事をしている方が余程楽なように思った。また、大学や学外で私を信頼して仕事をくれる皆さんと働くことにやりがいを感じており、それを中断したい気持ちもなかった。私は仕事がしたいのである。

もちろん、全ての育児をやりたくないというわけではない。おむつが取れて子どもが自分でトイレに行けるようになり、言葉を話せるようになって会話がそこそこ成立するようになったら、色々な思い出を一緒につくりたい。夫と子どもと3人で公園に行ったり、図書館に連れていって借りてきた絵本を読んでやったり、楽しい思い出ができそうだと思う。

「子どもはほしいけど育児はしたくない」という感情は、おそらく多くの男性が持っているであろう感情だと思うし(子どもはほしいけど育児はしたくない、だから女性に任せたい)、いざTwitterなどで検索してみると、同様のことを書いている女性もたくさんいた。ただ、実名で書いている人がほとんど皆無だったところを見ると、表立っては言いにくい社会の現状を感じた。

「フレンチのフルコースが食べたいが、自分で調理するのは面倒だ。だからお金を払ってレストランで食べる」ということは一般的なのに、「子どもはほしいけど大変な時期の育児はしたくない。だからお金を払ってシッターさんにお願いする」というのはヒトデナシっぽく扱われたり、母親失格、母性がない、などと言われるのはなぜなのか疑問だ。

私は最初から自分で新生児育児をする気はなく、妊娠が発覚した頃から多くの選択肢を検討し始めた。認可・認可外(無認可)保育園、産後ドゥーラ、一般的なベビーシッターサービスなど、様々なサービスを検討したが、私の求めているものはなかった。

探し回った挙句、一人の友人からとても素晴らしいベビーシッターさんを紹介していただいた。彼女は保育士として20年以上のキャリアを有しており、自身でも5人のお子様の出産と育児を経験されて、子どもや子育てがとても好きだと心からの笑顔を見せてくれた。この人になら、安心して自分の子どもを任せられる。そう思った。

私は自らの意思を持って産休育休を取らなかった。これまで産前にも、産後にも、今の仕事やキャリアを捨ててまで子どもをつくる決断をするかどうか悩んでいる女性、一人目の新生児・乳幼児育児が思った以上に大変だったことで、二人目の子づくりを躊躇し、諦めようとしている夫婦にもたくさん出会った。子どもをつくることが、イコールで新生児の育児をしなければいけないというわけではないことを知ってもらいたい。

現代の日本では、女性は子供を出産したら自分の人生は終わり、母として「子供のための人生」を送る。これがいわば当たり前の社会になっている。昨今、産前産後休業制度、育児休業制度が普及してきたものの、制度そのものが出産や育児の実態を捉えておらず、女性の負担は増すばかりである。

女性が生涯に渡って「自分の」人生を生きられる社会を実現したい。そのためにできることを考えていきたい。

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