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べつに「子ども好き」ではない私がベビーシッターになった経緯

「ベビーシッターしてる」という話をするとよく言われるのが、「子ども好きなんですねー!」という言葉。

えへへ。
いやいや。
実は違うんだ。

むしろね、昔は子どもはどう接すればいいかわからなかった。
小さい頃は絵ばかり描いて、あまり人と交わらない子だった。(将来の夢はマンガ家)
声が低くて通らないし、子どもが目を輝かせて寄ってきても「あ、う、」って感じで…陰キャ丸出し(笑)

けどね、何故かどこのコミュニティに居ても子どもと一部の女性に好かれるんだ。
だから素質はあったのかなぁ?なんてw

転機は中学生の頃。
私は慣れ親しんだ長野県松本市を離れ、親の地元である富山県に引っ越した。
生活が一変した。「生きづらい」という感情を初めて知った。
だから、人の心を癒せるカウンセラーになりたいと思った。カウンセラーの具体的な仕事や職場も思い浮かばなかったけど、そういう人になりたいと思った。
大学は心理学部に行こうと決めた。
まぁ紆余曲折あってそれは叶わなかったんだけど…


ずっと誰にも話を聞いてもらえなくて辛かった。「考えすぎ」「難しいね」「そんなことよりなんか楽しいことしようよ」って。
だから私は、誰よりも人の話を聞く人になろうと思った。
誰よりも人の心を知ろう。
人の心に寄り添える人になろう。
そう誓った。


私は「子ども好き」ではない。
「人間好き」なのだ。


環境の変化による反抗期で、何もかもやる気がなかった。だから高校は制服のかわいさで選んだ。偏差値は低かった。
親に「英語やれ」って言われたから、高校で英語がんばって、大学はそういう学部に推薦で行った。偏差値低くて大学進学する子は少なかったから、先生も大喜びしてくれた。
けどやっぱり無理してがんばってたから、講義は全然身に入らなくて、単位もギリギリで卒業。
推薦で入ったという負い目から学部を変える勇気もなくて。
ずっと忘れられなかった「心理学」になんとか食らいつこうと、単位外の心理学系の授業を取ったり、卒業してからコーチングスクールに通ったりした。
だけど、仕事にしてお金をもらう勇気はなくて、事務や工場で仕事をして、なんとなく日々をこなしていた。
けどやっぱり「人と深く関わりたい」「誰かの心を支える仕事がしたい」という思いは消えなかった。中学生の頃からずっと。


26歳になった。
こんなに長い間消えない想いなら、叶えてやらねばならん!と、学童のパートに応募した。「受からなかったら縁がなかった」「ちょっと試しに受けてみるだけ」と自分に言い聞かせながら。


幸い受かり、「自分にこんなにフィットした世界があったのか」と感動した。
そりゃもう毎日喧嘩は勃発するわ、生傷絶えないわ、試し行動受けたりもするわで大変だったけど…宝物の日々。


そして、娘を妊娠〜育児中に心理学検定を取った。
途中、「いつか学童に長として戻りたい」「けどそれに当てはまる資格を持っていない」と気づき、保育士も取ることにした。
「自分って独学得意だったんや!!」と気づいた数年間である。


こうしてどんどん自分にフィットしたこの「児童福祉」という業界にのめり込んでいって…
今は子育てと両立しやすいベビーシッターとして働いている。という訳です。


子どもって素直でほんとおもしろい。
遊びも思うままに行うし、道路に出たいと思ったらすぐ走っていくし(爆)
けどそれだけじゃなくて、子どもの話を聞いて、様子を観察して、適切なものを提供するという一連の流れが好き。
あとね、親御さまとお話するのも楽しいんだ〜
お家の中に入らせていただくから、色々わかるんだよね。
お家の様子、親御さまの様子、お話から色々と感じ取って、傾聴する。そうすることで、親御さまがちょっとホッとされたり、時には涙してくれたりするのも嬉しい。やり甲斐があるなと感じている。

私は私の理想の人間に今なれていると思う。
ベビーシッターはそのうちのひとつというだけなので、今後もしかしたら「ベビーシッターなお」ではなくなるかもしれないけど。


私は一生「人間好き」だと思うので、こういう生き方をしていきたいと思っている。

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