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書くことについての考察

書き始めて10日くらい経っただろうか。
質はともかくラフな感じで書けているのは良いこと。

書くことを始めた(再開した?)きっかけはInstagramのストーリーズを日記がわりにしてもあまり心身に良くないと思ったから。どうしても見栄みたいなのが出ちゃうし、他人に見られているという感覚が強すぎる。誰も見てないのに、見て欲しい人が構ってくれるわけでもないのに、なんか気にしちゃうのは良くない。インフルエンサーでもないのにお洒落ゲームみたいで疲れる。見る側としても。

会えるなら会えば良いわけだし、メッセージ送れば良いだけのこと。
知った気になって距離がおかしくなるのは望んでいない。

書くことの良さは、考えることがそこに含まれるということ。
Instagramなどは思考放棄していることが多いし、キラキラしたように見える他人の日常に憧れや嫉妬ばかりであまりポジティブな感情は生まれない。ハイカロリーで中身のない情報を貪って肥満になっていくだけだ。

書くことはそこから完全に切り離されて自分の世界に没頭できるヘルシーな時間の使い方であると思う。考えをまとめたり、過去を綴ったり、その時間の中で得られることは手軽なSNSの利用よりはるかに大きい。

ティモシー・スナイダーの「暴政」を読んだことが書くきっかけにもなっているのかもしれない。捉え方は自由だけど自分にとっては良い変化であったことに間違いはない。歌を作ったり、書いたり、何かの創作活動に向かっているときは自分が良い状態にある。その先に何があるかはわからないが。

“本を読み、自分の言葉で話しなさい“
 ※ティモシー・スナイダー「暴政」より

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