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限りなく透明で細い糸

本当の意味で誰かと繋がっていると思えない。
そうは言っても、確かに人との繋がりはある。自分1人で生きているなんて自惚れてはいない。
しかし、その繋がりは限りなく透明に近く細い糸のようなものにしか思えないのだ。
家族、友達、その他に関係のある人たち、全てがそのような線で繋がっているように感じられて寂しくなることがある。本当は寂しいと言う言葉で表せるほど単純な感情ではない。
か弱い糸は、ときどき見えなくなってしまうのだ。不安や孤独を感じた時、本物の透明になってしまい、無になってしまう。

私は誰とも繋がっていない。

伝わりにくい例えかもしれないが、よく私の頭の中で浮かぶイメージがある。混雑した知らない街中で1人迷っている。周りに人は沢山いるが知っている人はいない。ここがどこなのか知る手段もない。だんだん自分が何故ここにいるのかわからなくなってくる。不安になる。怖くなる。泣きたくなる。指先にはか弱い線が結ばれているが、それは短く途切れてしまっていて、誰とも繋がっていない。

そんなイメージを浮かべてしまうことがよくある。それは現実の人間関係に非常に似ているものを感じる。
現実の糸は途切れてしまってはいないが、見えにくく見失ってしまったり、強く求めて引っ張るとぶちりと切れてしまいそうに思えるのだ。
私は糸を見失ってしまわないようにしっかり見張ってないといけないし、強く手繰り寄せたい衝動に駆られても丁寧に扱わないといけない。
本当は少し目を離したぐらいでは見失うことがなく、強く引っ張ってもちぎれてしまわない強いロープのような繋がりがほしい。

きっと、私に強いロープを差し出してくれる人もいるのかもしれないが、それを受け取り握ることはせず、代わりに限りなく透明に近いか弱い糸で相手との関係を結んでしまうのだろう。
何故だろう。本当は簡単に見失わない力強い繋がりが欲しいのに受け取ることも、差し出すこともできず、1人怯えている。

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