見出し画像

011 まったくクソほど嫌な思い出だ

☟ previous ☟

前回を参照いただきたいが、心が折れてからというものまったくもって立ち直ることができず始終鬱々としていて、あの優しい上司とも直接はおろか電話ですら会話ができなくなってしまった。電話越しに上司からの提案をとにかく無言で聞いては一番最後に「はい」とだけ返す簡単な作業を数日繰り返した。そして、今後のこともあるのでという優しい口実で病院に連れて行ってもらうことになった。先生から「まあそうですね」と明言もされない診断を下され、いくつかの薬を処方してもらった。会社は有給休暇と病休を利用させてもらい、在籍しながら一年弱休む手筈となった。

(正直な話、上記の数日間のことはあまり覚えていない。毎日泣いていたような気はするが、どんな気持ちだっただろうか。上司にお礼は言えていたのだろうか。先生の問いに応えることができていたのだろうか。会社の人たちになんと言ったのだったか。置いてきた仕事の引き継ぎはどうしたのだったろうか。この時期のことはぼんやりとしか思い出せないままである。)

さて、休むことになった。

言うなれば、嫌々やらなければならないことがなくなった。出勤しなくて良いし、仕事もしなくて良いし、今まで生き抜くことに精一杯過ぎてほったらかしていた当時の彼氏と会おうと思えばいつでも会うことができた。どこか旅に出てもいいし、近場で遊んだって良い。時間は有り余っていて、眠っても眠っても明日も休みなわけだ。しかし、こんなにも休むことになったというのにそれは身体にとっての話で、心も頭も全く休めなかった。どんなに眠っていいのにうまくは眠れなかった。休職前も睡眠時間は長く取っていた(寝なければならないという謎の脅迫概念があった)ものの、仕事の夢ばかり見てぐっすり眠れてはいなかったが、休職してもなお仕事の夢ばかりを見て1時間おきに目を覚ました。睡眠薬も処方されていたが、前後の記憶がないほど気絶するように寝るときもあれば全く眠気が来ないまま一日うっすらと眠るような日もあった。理由は分からない。正直なところ、先生には最後まで自分のことをうまく話すことができずただ聞かれたことに「はい」か「そうでもないです」と答えていただけなので、薬が合っていなかったのかもしれない。それは私と先生の不一致だったと思う。仕方がないし、申し訳ない気もする。

眠れない夜は思考を深めてしまう。元気なら哲学で済むことも当時の私には重く深く、有り余るほどの眠れない夜にひたすら自分を責め立てた。

仕事もしていないのに在籍させてもらっている状況にも、置いてきた仕事やその相手先にも、それら全て任せてしまった先輩たちにも、こんな姿を見せてしまった後輩たちにも、私がもがき苦しんでいた仕事を楽しそうに全うしている同僚にも、同じ夢を見ていた学友たちにも、すべてに「お前はダメなやつだ」と思われている気がした。
おそらく何人かには本当にそう思われていたのだが、その悪意を全人類のものだと思い込もうとした。

お風呂に入ることもご飯を食べることも起きることも笑うことも話すことも一人でいることも心配されることにも疲れていて、こんなにも恵まれているのにどうしてこんなに踏ん張れないのかと自問しては自分が無能な生き物だからだと結論づけていた。今ならそれは単純に病気のせいだと言ってあげられるが、当時はそうもいかない。一人暮らしな上連絡をほぼほぼ絶っていたので、視野の狭い自分の世界が全てになっていた。事務的な話以外で会社から連絡がくることもなかったし、親にも数少ない友達にも言っていなかった。彼氏には辛さのあまり口を滑らせ僅かながら話したが、「そうなんだ、じゃあ暇だよね、家に来て遊ぼうよ」といった具合で理解者とは正反対の位置に居たような気がする。とにかく、貴方には話してしまったが他の誰にも言わないでほしいと口止めをした。これ以上私の現状を知る人が増えて「こいつはダメなのだ」と匙を投げられたくなかった。(これらは私の想像上なのだが、当時は本気でそう思っていた。)友達や家族など、自分の大切な人たちには尚更知られたくなかった。自分の弱さも、自分が無能だということも。

後日彼が共通の友人たちに私の状態をすべてバラしていたことを知り、それも一つの原因として別れた。まったくクソほど嫌な思い出だ。


011 まったくクソほど嫌な思い出だ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?