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なぜ道徳を学ぶことになったのか〜きっかけは、たった一つの授業だった〜

さてさて、今日はなぜ道徳を学ぶようになったのかという私自身のストーリーを語っていきたいと思います。

今日の記事は、全部読んだとて、「明日からこのスキル活かそう!」となる記事ではないことを最初に言っておきます。

でもね。
若手で「何を専門に学ぶか迷うなぁ」って人には役に立つかもしれません。
読んでくれた人のハートに火をつけられたら嬉しいです。

きっかけは「若手勉強会」

みなさんの学校には「若手勉強会」ってありますか?
3年目までの人が入って、授業を公開して、あーだこーだ言うやつです。
地域によっては、5年目までの教員がやっているところもあるかもしれません。
若手の教員にプラスして、先輩の先生も授業を見にきてくださります。

私が講師だったときにもこの「若手勉強会」というものがありまして、
1つ授業を公開することとなっていました。

今でこそ「授業は公開すればするほど力がつく」と思っているのですが、
当時は公開するのがめちゃくちゃ嫌でした。

なぜ嫌だったのか。当時の心境を思い出してみましょう。

私は、プライドが高かったんですよ。
人に対して「わかりません」というのが嫌だった。
誰かに教えてもらうのが嫌だった。
学生時代は超がつくほどのTHEまじめキャラでしたから。

まぁ、こんな「ひねくれ坊主」みたいな感じでしたから
「緊張する」とか「恥ずかしい」という感情とは違い、
見てもらって「下手だな」とか思われるのが嫌だったんでしょうね。

さて、そんなこんなで、授業を決めなくてはいけない日がやってきました。

みなさんだったら何の教科をしますか?

私は「道徳」をすることにしました。

なぜって?

「指導案を書くのが楽そうだから」

これに尽きます。
他の教科だったら、「単元計画」とやらを書かなきゃいけないでしょう?

でも、道徳だったら1時間分で済みますよね。(なんたる邪な理由)

そして、道徳だったら進度を気にすることなくできます。
これが、算数で、8分の5時間目のところを授業で公開します。
となったら、その日に合わせて授業をしなくちゃいけないので、それが煩わしかった・・・

あれ?

「THEまじめ」とか言っていた割には、かなり不純な動機で「道徳」をすることを選んでいますよね。

まぁ、人生そんなもんですよ。

道徳を公開した結果

いよいよ迎えた公開授業当日。

先ほど緊張はあまりしないと言いました。

ウソです。

今となっては、授業を楽しむ余裕もありますが、当時は喉から心臓が飛び出すのではないかというくらい(こんなにも、この比喩を使うのにふさわしい場面はありません。)緊張していたことを思い出します。

授業参観で保護者の方が来る分には、あまり緊張していなかったんですよ。(それでも緊張はありましたが・・・)

公開授業は教員の人に見てもらうので、「上手いか下手か」が一発でわかってしまいますよね。それがまた嫌でした。何せプライドの塊のようなやつでしたので。

で、授業をやってみた結果・・・

結果・・・

結果・・・

さんざんでした。

これを書きながらも当時のことが蘇ってくるのですが、
話し合いの時に「時が止まったのか」と思うくらいシーンとなっている教室。

誰も何も言わないというのは、こんなにも苦しいのかと息ができなくなるくらい焦りました。

それが普段の授業ならまだしも、公開している中でそうなってしまったら、恥ずかしさや苦しさが3倍くらいになりますよね。

そんな調子なので、板書も半分くらい書いたところで終わってしまいました。

そして、「大切なところは色を変えて板書する」という知識だけもっていた私は、何が大切かもわからずに「ほぼ全ての文字」を黄色で板書していました。
(だって、子どもたちの意見ってどれも貴重じゃないですか笑)

さて、授業が終わってからの検討会。

はい。

ここからはみなさまの想像通りです。

正直、もう記憶がないのですが、ボロボロになるまで意見を言われたことを覚えています。

プライドの高かった私は完全に打ちのめされてしまいました。

運命の分岐点

さて、こんなできごとがあった時に、どうしますか?

「もう道徳なんかするもんかーーーー!!」

となってもおかしくなかったのですが、

そうは言っても道徳の授業はありますよね。

そこで、「見返してやる!」という気持ちで市の道徳研究会に入ることとなりました。

はい。これが運命の分岐点でした。

あのとき、「ま、いっか。失敗は失敗だし」と捉えてそこから何も行動に移さなかったとしたら・・・

今の自分はいなかったでしょう。

そこから、市の勉強会のときに指導案検討をしたり、公開授業をしたり、レベルアップを積み重ねていきました。

今では、道徳に関する本を出させてもらったり、教科書の指導書を書かせてもらったりするようになりました。
当時からすると信じられないようなことです。

今、働き出してコロナ禍を経験した若手の人
コロナ禍を大学生として過ごした人

本当に大変な時代だったと思います。

チャレンジしたくてもできなかったこともたくさんあったでしょう。

でも、「コロナ」は5類に変わり、一つの区切りを迎えようとしています。
ここから風向きが変わってくると思います。

たくさん挑戦して、たくさん失敗してください。
そして、失敗を行動するエネルギーに変えてみてください。

若手のあなたは、「何を専門に頑張ろう」ということが何も見えていないかもしれません。

そんなときは、一つのことをコツコツとやることを意識してみてください。
すぐに成果を求めないようにしてみてください。

正直に言います。
成長に近道はありません。

でも、継続したら成長し続けているのは間違いないです。

その成長が目にみえるようになるのは、きっと何年か経ってからです。

それまで、成長を楽しめる自分だといいですね。

今日はここら辺で終わっておきましょう。
少しでも若手の人の心に火がつけられたら嬉しいなと思いつつ・・・

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