見出し画像

ヨットから東京(陸地)を見ると、時間が歪んでいたことに関する考察

ヨットの実技授業、というものに参加する。

早稲田大学には体育の実技授業なるものが存在して、ピラティスやボクシング、弓道からカバディまでさまざまな競技を結構ガチめに学べるものだ。受講生は基本的に教職志望の1年生(彼らの大半はそのしんどさから教職を諦めることになるのだが)、あと僕のような暇を持て余した4年生がほとんど。2021年春には僕もボクシングを受講したのだが、14号館の地下でひたすらステップとパンチを繰り出し、体育教官と部活生専用のサウナでガン決まるというこの世の楽園の授業だったので、みなさんもぜひ積極的に取った方がいいですよ。出席すればA+は固いので。

画像1

とまあ、美味しい側面の多い体育実技なのだが、その中でも一際目を引くものがあるのだ。僕のような優柔不断人間は履修登録時にほとんどすべての開講されている授業をチャックするのが、その一つに『夏シーズン「ヨット」』というものがある。普通の授業期間中ではなく、夏休みの4日間、短期集中講座的にヨットを習得(学習?)することができる、というものだ。

夏休みで単位が取れる上、大海原を相手にするダイナミックなスポーツを体験できるというこれまた大変おいしいものであることは間違い無いのだが、同時に驚くのがその受講料である。通常の体育実技は1500円ぐらいで半年週一回受講できるのだが、、、

画像2

ん?

画像3

????

画像4





基本的に僕は「好奇心が金銭感覚をブチ殺す」系の人間なので、おかげさまで4、5月の主食は豆腐と納豆でした。とはいってもさくっと痩せられたので、ヨット受講ダイエットおすすめです。


***


僕自身は22単位登録参入4単位という圧倒的に緩ゲー学期だったので、図書館でゴロゴロして、ボクシングしてサウナ入って、金曜夜はただただ映画を見る授業を取ったりして、とても優雅な学校生活を送っていたので、気がついたら夏休み、ヨットの実技、という感じでした。舞台は東京都江東区新木場、若洲ヨット訓練場。工場とトラックしかない工業地帯は東京都心とはまた違う殺伐さがそこかしこに感じられたが、工場労働者を満載したバスに揺られながらヨットハーバーでドアが開くと、コンクリートの熱気と混じって重い潮の匂いがぷんと香る。

計四日間、9時から16時までの短期間で2単位認定なので、まあ過密も過密である。初日前半にロープワークとヨットの簡単な説明を受けたと思えば、「もう行けるっしょ?笑」のようなノリで午後には即出艇。そこからは怒涛の現場ぶっつけ講習だった。名門早稲田大学ヨット部のTAのみなさんに言われるがまま場所移動、方向転換、そしてハイクアウト(個人的にこれが一番好きだった)を繰り返し、なんとなく感覚を掴みかけた最終日には班対抗のヨットレースがあり、最後に筆記試験があって校歌斉唱、そして閉講というスケジュールだ。


画像6


受講生は13人ととても少人数制だが、対面の実技授業を4日間ということなのでなにげに仲良くなれるのも良いところだった。ボクシングは隔週でオンライン・対面が交互にあったこともあり、高校の授業のようにほとんど男女別、仲良くなったもの同士で進めるようなかたちになってしまったが、こちらは朝から夕方まで、時にはヨット上で、時には行きのバスで、時にはクルーザーで顔を合わせるので自然と話すようになる。

とはいっても高い金をわざわざ払って夏休みの初旬四日間を海の上で過ごそうと意気揚々にくるような人間しかいないので、なんとなく気が合うのもなんら不思議でもない。僕はヨットのバディになった韓国人の留学生が同じく4年生だった(とはいっても兵役で2年休学していたとか)ので、前期に取っていた韓国語の個人レッスンをして貰っていました。

絶対普段スポーツしないような学生でも進んでヨットに乗っているところを見ると、実技授業は早稲田生の健康的な身体発育に少なからず貢献しているように思える。


5メートルもないちっぽけな船の上で学んだことは、新宿のど真ん中に広大なキャンパスを抱える早稲田キャンパスで学んだことと全く遜色のないものだった。むしろ、大教室で学ぶことよりも多くを、文字通り体と脳に刻み込んだかもしれない。 

風を読み、天気を読み、レースを読み、有利に船を進めること。この一年半ほど、フィールドに出て感受性を磨くという営みのハードルがかつてないほど高くなってしまった世界で、自分自身がこれまで踏み入れてこなかった海上というフロンティアを切り開ける体験は、他では絶対にあり得なかった。


画像7


***


自然の中では、時間は変則的に流れる。

太陽の光の当たり方も、ふと吸い込む香りも、自分自身の体がはらむ熱量も、都会で感じられるそれとは違う、気がする。ただ、山と海とは人間をこのように哲学的省察にふけさせるという一点を除けば、両者にはただ「自然」のひとことで形式化してしまうにはあまりにも大きな隔たりがある。

山においては、僕たちはただの通行人にすぎない。気が遠くなるような悠久の昔から我が物顔でこのちっぽけな国の大半を占拠する山において、僕たちは何も残さない(残してはならない)し、自分たちの存在の希薄さを噛み締め、人生を達観した気にさせてくれる。

それに対して海はー東京湾はーうつろい過ぎるし、かつ濁りすぎている。海において僕たちは、少なくともヨットの上では、レジリエント・アンド・アジャイルを繰り返す海とともに忙しなくタッキングとジャイビングを繰り返す。そこにおける時間の変則性は、自らの存在のちっぽけさを否が応でもぶつけてくる山の重厚なそれよりも、もっとずっと危うく、はかなく、それでいて人間味を感じさせるものだ。海において、僕たちも海になる。


ただ、一日中遊び疲れた体を引きずって帰るときには、そんな物思いなんてどうでも良くなる。

明日は風が吹くかもしれないし、吹かないかもしれない。うろこ雲が出ても天気は変わらないかもしれないし、案の定突風が吹くかもしれない。

そんな観天望気も、海の上での省察も、はたまたヨットの授業もこれから役に立つ日が来るかなんて、今日の僕にはわからない。もしかすると大西洋をクルーザーで横断する日も来るかもしれないが、せいぜいこの四日間が一夏の思い出として消化されていくのがオチなんだろう、と思う節もある。

ま、そんなものでいいんだろう。これこそがヨットというスポーツなのかもしれないし、海の上で遊ぶということかもしれないし、(あえてスケールを大きくするのなら)人生なのかもしれない。


画像5


両腕と首に残っていた気持ちいい日焼けの感触は、ちょっとづつ和らいできている。


***


(ここで会った受講生の皆さん、そしてなにより早稲田大学ヨット部の皆さん、本当に有り難うございました。早稲田で一番楽しい授業でした!この場を借りてお礼申し上げます。)


=====

白青研究所(siroao institute)

- YouTube

- instagram

https://www.instagram.com/siroao/


読んでくれてありがとう!サポート頂ければ感謝感涙ですが、この記事を友達にシェアしてもらえる方が、ぶっちゃけ嬉しいかも。また読んでください!Cheers✌️