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おさなごころ保存委員会

みんな、おさなごころを上手く飼い慣らしているんだ。

世代も超え、出身地も違う、多様なアイデンティティをもった人々がなぜ遠野に吸い寄せられ、調和しているのか?
遠野にはびこる小宇宙性について話している時、シェアハウスの同居人はこう言った。

大人になれずにおさなごころに操られている人も残っていれば、多くの人がおさなごころをどこかのタイミングですっきりと置いてきてしまっている。そんな現代において、おさなごころをきちんと飼い慣らして、然るべき時に、然るべき限度で、ちゃんと子供に戻れる人がここにはたくさんいるんだ、と。


3月に大学を卒業し、岩手県遠野市に移住してきてから2週間が経った。
アーティスト、醸造家、スナックのママ、画家、怪談師、ローカル・プロデューサー、デザイナー、農家。サークルの12代上の先輩、高校の40代上の先輩にも会った。

そういった人々が、適切に飼い慣らしたおさなごころで関わり合う場所。体感的にわかるような気がしてきている。


360度、山に囲まれた盆地地形。

***


帰省した時、嬉しいニュースがあった。

旧友に子供が生まれる、ということだった。大阪での青春時代をともに過ごし、おたがい相応に忙しくなってしまった今でも帰省すればかならず暇を見つけて会う、という間柄だからこそ、幸せそうな彼をみれて本当に嬉しかった。

それと同時に、はっとさせられたことがあった。僕たちも、次の世代を持ちうる年齢になったのだ、と。
いわゆる世間で言う次の世代のため、の対象は僕たちだと思っていたが、もう僕たちも次世代に責任を持つ時が来たのだ、と。


23年間この世界で生きてみてわかったこと。

それは、現代には子どものみずみずしい感性や、力強い生命、根源的な探究心を殺してしまう重力が強すぎる、ということだ。

ある意味、「成熟した」社会においては仕方のないことかもしれない。全ての人が生まれ持った「内なる子ども」を忘れても仕方のない誘惑が、今ではそこらじゅうに溢れている。その結果、品行方正な人間となり、礼儀正しく立場をわきまえ、周りからのさまざまな要求に応え、消費に勤しみ、GDPに貢献する。本当はもっと伸びやかなはずの子ども心も、冒険の力も、アートの力も、日々補正され、制限され、殺されつづけている。実際に、今日も遠くの地では人間が殺され続けている。


僕は、僕の親友の子どもが、いつまでも好奇心を失わないで、のびのびと十全に大人になれる社会を作らないといけない。

血もつながっていない赤の他人に対して、そう強く思った。今だからこそこう冷静に文章にすることができるが、彼からその話を聞いた時は、じわじわと溢れてくる使命感のようなものがあった。


***


僕が新卒で岩手県に移住して、いったいなんになる?
わからない。
僕がビールを作って、イラストを描いて、動画を撮って、文章を書いて、いったいなんになる?
わからない。

何か運命的な導きがあるかもしれないし、志半ばでこの場所を後にせざるを得ない外的状況が生まれるかもしれない。

余分な筋肉がついて、それが思いもしなかった自分を開花させてくれるかもしれないし、それが関節の可動域を狭くさせて逆に足枷になってしまうかもしれない。


しかし、これこそがささやかな叛逆であり、おさなごころを飼い慣らすということであり、あくまで自由であり、先天的な好奇心を解放させてあげることなのだ。それができると信じたからここにきたのだし、2週間ここにいてみて、実際にできると信じている。

大旗を振って「好奇心をとりもどせ!」だの、「おさなごころをとりもどせ!」なんていう気はさらさらない。
僕にできることは、いま僕が作れるものを作り続けるだけだ。

きっと、そういうことなんだと思う。
だから僕は今、遠野にいる。


遠野では、バケツのうえでジンギスカンを焼く。これが美味い。手軽。


***

siroao.

ビールづくりって本格的な化学です。
高校2年まで理系選択だったので、有機化学などはやったけど、あのころはモチベもなければ面白みもないんで「けっ、こんなもん何になるんだ」と鼻にかけていた。でもこう自分の作りたいものに関わるとなるとベンゼン環見るのも全然平気ですね。

義務教育に「ビール醸造」いれませんか?

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